――――答えは得た。
 例え報われる事が無かろうと、常に後始末の掃除屋でしかなかったとしても。時間もない、しかし無限に続く絶望しか待っていないとしても。それでも俺は間違ってなどいなかった。そう、俺は――――

 間違ってなど、いなかった。



   ―― 誓い ――



 ふと、気付いた。
 バカな、そんな事有り得ない。英霊の座には時間の概念はない。輪廻から離れた英霊という存在は、完全に時空の流れから、あらゆる並行世界から独立するのだ。だから、時間の概念がない故に気付くということは有り得ない。なぜなら、気付くというその一瞬の行為には、確かに時間が存在するのだ。ならば、ここは英霊の座ではないのだろうか。
 周囲を見回す。何もない、ただのだだっ広い平原。一本の真っ直ぐな道だけがそこに在る。見上げれば、空はよく晴れてどこまでも真っ青。だというのに太陽は見当たらなかった。あまりに非現実的。
 さっきは違うと思ったものの、やはりここが英霊の座である事に違いはない。呼び出された世界にしては、どんな時代だとしてもあまりに非現実的すぎる。ならば、座に何か異常が起こったと考えるのが妥当だろう。それがどんなものであるかは別として――――気配を感じ、道の遥か先を見遣る。いつの間にか、一つの小さな影がこちらへ近付いてきていた。敵か、味方か。全身を緊張が走る。いつでも投影を開始できるよう、精神を集中しようとして、次の瞬間驚きに思考が奪われた。
「セイバー?」
 こちらに向かう人影。それは間違いなく遠い日に出逢ったのと同じ姿。なぜ、何故。困惑に身動きがとれないまま、近付く彼女を待っていた。
「お久しぶりですね、アーチャー。……いえ、ここではエミヤと呼ぶべきでしょうか?」
 彼女の声も、あの日のままに澄み切って美しい。いや、よくよく考えればつい先程まで――先程、という考えが正しいかというといささか問題はあるが――彼女とも言葉を交わしたはずなのだが。
「久しぶり……というほどでもないのだがな」
 つい、ぶっきらぼうにそんな受け答えをしてしまう。やはり、今の俺はあのころとは違うのだ。だが、彼女はそんな俺の言葉を真摯に受け止め、数瞬俯いて考え込んだようだった。
「――そうですね。貴方にとっては、つい先程私たちと別れたようなものでしょうから」
「まあそうなるな」
「ですが、私は違う。私にとっては、もう何十年も前の出来事です」
 そこでセイバーは少し顔を伏せた。言いづらそうに、続く言葉が絞り出される。
「少し前の貴方に会った事も、あるにはありましたが」
「……そうか」
 セイバーは辛そうに顔を顰めているが、俺にとってそれは当たり前の事実に過ぎない。きっと守護者が必要になる事態があって、そこにたまたま彼女も居合わせた、ただそれだけの事だろう。それ以上でもそれ以下でもないし、嘆き悲しんだとしても結果が変わるわけではない。
「辛くは、ないのですか?」
「当時はどうであったかわからん。だが、少なくとも今はそれを辛い事だとは思わない」
 間違ってなどいなかったのだから。たとえそれが後始末に過ぎなかったとしても、それでいい。そう思える今なら、心配そうなセイバーの瞳をしっかりと見て答えられた。その答えを聞いて、セイバーは胸をなで下ろしたようだった。
 それで彼女の尋ねたいことは終わりなのかもしれない。だが、俺の方にはある。
「それよりセイバー。何故、お前がここにいる?」
 そう、それが最大の疑問。ここは英霊の座。彼女のように本当の英霊になっていない者は、決して来ることの能わない場所だ。
「二人の最期を看取ってから来ました。といっても、時を同じくというわけではなかったのですが……」
 二人とも、幸せそうに永い眠りにつきました。そう言ったセイバーの顔は晴れやかだった。その言葉が真実であれば、遠坂は確かに衛宮士郎という馬鹿者を変えてみせたのだろう。顔にも口にも出さないが、心の中で一言だけ、ありがとうと呟いた。
「そうか」
「ええ」
 何もないはずのこの場所に、風がそよぐ。少し涼しく心地よい。陽光照らさぬおかしな場所ではあるが、快い時間がそこにはあった。だが、それを壊さねばならない。彼女は意図的に意味を取り違えて答えた。その真意も含め、問い質さねばならない。
「どうして、お前がここにいる?」
「――どういう意味ですか」
 セイバーの視線が鋭くなる。喩えようがなく美しい彼女だが、その眼は敵を目にすれば全力で打ち倒す獅子のそれとなる。かつて向けられた事もあるが、それでもぞっとしないものがあった。だが、それで怯むわけにはいかない。
「ここは、英霊の座だ。過ちに気付いたならばここに来るはずがない。それなのにここにいるということは……セイバー、お前、未だ間違った望みを抱いているのか!?」
 セイバーは答えない。だが、その手にはいつの間にか剣が握られている。風王結界に包まれた聖剣、それを向けようというのか。瞬間、頭が沸騰するほど血が上るのを感じた。
「ここに至って間違った望みを抱き続けるなら……絶望という名の海で溺死しろ」
 投影、開始。両の手にあるのはいつもと同じ夫婦剣。全力の彼女に勝てるかなどわからないが――――いや、勝たねばなるまい。間違った望みを抱き、あるいは果たしてしまったというならば……せめて、この手で終わらせてやるべきだ。ならば、躊躇わない。

 先に仕掛けたのは彼女の方だった。脇構えにも似た彼女独特の構えからの一撃。それはいつかと似た、左の肩口から一気に心の臓を真っ二つにしようとするもの。だがあのときとは違い、冷静に対処できる。左手の莫耶でその一撃を受け流しながら右足で踏み込む。首を狩りに干将を一閃させるが、既に彼女は大きく間合いを取っている。疾い。
 構え直した時には、既に彼女は追撃に入っていた。繰り出される一撃一撃を、丁寧に干将と莫耶で受け流す。魔力の乗せられた一撃一撃は重く、気を抜けば一瞬で手首ごと粉砕されかねない。真正面、左右から胴を叩き切らんとする連撃、首を狩りに来る斬撃、疾風のような突き。そのどれもが必殺であり、受け止めた干将・莫耶が甲高い金属音を挙げて軋む。ぶつかるたびに魔力の爆発が、たわむ金属が、火花を上げた。

 速過ぎる。その一撃一撃が速く、そして重すぎる。最速を誇る獣のような男と戦った時の方がまだ遅いかのように感じるほどだ。理由は明白。彼女の一撃が重すぎるから、次の一撃への対処に移るまでに時間がかかるのだ。ならば、まともに受けていればいずれ潰されるが必死。故に――――即座に、全力を以て仕留める。
「――鶴翼、欠落ならず」
 双剣を放つ。左右同時に、相手の首を刎ねる二十分な力を持って投擲する。双剣はその形故に弧を描きながら飛翔し、彼女の首で合流を果たそうとする。描くは歪な十字。だが、それは弧を描くがために美しい鶴翼となる。美しい軌道を描くそれは、既に必死。しかし。
 一閃、もう一閃。同時に彼女に襲いかかったはずの刃は、しかし別々に彼女に受け流され、弾かれていた。鶴翼はそのまま彼女の後方へと飛び去る。
「甘い!」
 セイバーは即座に、無手となった俺に斬りかかろうとした。だがその瞬間にはもう、俺の手には新たに投影した干将・莫耶がある。
「――心技、泰山に至り」
 一撃が振り落とされんとした瞬間、有り得ない方角から彼女への奇襲があった。急カーブを描き、彼女に襲いかかる莫耶。
「なっ……!?」
 同時に干将で斬りかかる。前後から同時の一撃、故に必殺。だが。
「まだ甘い!」
 彼女は背後からの一撃を叩き落とすと、返す刀で俺の干将を迎撃する。その一撃で、干将が吹き飛ばされる。だが。
「――心技、黄河を渡る」
 彼女の斜め後方から、吹き飛ばされた干将と入れ替わるように先程の干将が襲いかかる。同時に胸元へと莫耶をたたきつけ……
「くっ……!」
 神速だった。背後から飛翔する剣、正面からたたきつけられる剣。そのどちらもが彼女に弾き飛ばされる。この瞬間、彼女は手詰まりとなる。硬直し、無防備となった彼女に対し、こちらは三度目がある。
「――唯名、別天に納め」
 投影する。再び投影するのは、やはり夫婦剣。常に王手をかけ、絶体絶命の場面に追い込む故に、この技は必死。そして、それが実を結ぶ。
「――両雄、共に命を別つ!」
 左右同時の斬撃、同時にそれに引かれて飛翔する先程の干将・莫耶。四方から同時に迫る斬撃、逃げ場は、ない――!
「くっ……はぁっ!」
 だがそれさえも彼女は避けて見せた。届く直前、背中側へと倒れて地面すれすれまで体勢を倒し、そのまま両足のバネだけで一気に後方へと飛ぶ。届かない。その低さへは刀身が届かない。戻ってきた双剣は手にある双剣とぶつかり、甲高い音を残してその役目を終えた。
 大きく距離を取り、彼女は再び構えを取る。風が舞う。暴風が吹き荒れる。それが聖剣解放の合図。だから同時に唱えはじめる。
 ――――I'm the bone of my sword.
 その間にも彼女を中心として吹き荒れる暴風は竜巻ともとれるほど勢いを増していく。そしてとうとうその聖剣が姿を現す。輝く、光の剣。だがその瞬間、詠唱も同時に終わる。
 ――So as I pray, unlimited blade works.
 走る炎、変貌する世界。一瞬で世界は錬鉄場へと塗り替えられる。固有結界の展開、だがこれではまだ足りない。彼女の持つ聖剣の最強の一撃には、勝てない。だから、十重二十重に備える。互いにチェックメイトをかける時がきた。

 先に仕掛けたのはセイバーだった。周囲のマナを根こそぎ吸い取り。全ての魔力をその剣に注ぎ込んでくる。そして放たれる一撃。
約束された(エクス)――――」
熾天覆う(ロー・)――――」
 膨れあがる闘気と魔力が、彼女の周囲で雷光のようにきらめき、爆発する。それを、全力を以て防ぐ!
「――――勝利の剣(カリバー)!」
「――――七つの円冠(アイアス)!」
 光の断層が迫り来る。最強の斬撃が迫り来る。それを迎え撃つは最強の盾、七枚の光輝く花弁。特に投擲武器に対しては絶対を誇る、これ以上ない護り――!
 だが、それでは足りない。一枚、また一枚と花弁は千切れ、吹き飛ばされていく。だが十分。もとよりこの盾は捨て駒。真名を解放した事により生まれる一瞬の拮抗こそが勝機なのだ。そう、盾が敗れ去る瞬間こそが。
 最後の一枚。それが必死で耐える。だが、もう持つまい。そしてとうとう盾は耐えられなくなり、最後の一枚も破られる。そして膨大な光が襲いかからんとするが……
約束された(エクス)――」
 既に彼女の剣は、この世界にある。普通に投影すれば体が持たないであろうその神秘も、この固有結界の中では扱える。だから、盾が破れて斬撃が届く瞬間。
「――勝利の剣(カリバー)!」
 投影した彼女の剣の、真名を解放した。
 本来、俺の魔力量では彼女の剣に勝てるはずがない。だが、盾に防がれた一撃であれば、話は別だ。盾により大きくその威力を削がれた後ならば、俺でも十分に越えられる。そう、だから。
 ――――これで終わりだ、セイバー!
 俺の手にある剣から放たれた光の奔流は、彼女の剣からの光を飲み込み、そのまま彼女に襲いかかった。



 パチ、パチ、パチと、後ろから拍手が聞こえた。
「なっ……!」
 振り返ると、彼女は無傷でそこに立っている。
「見事でした。鞘がなければ私の負けでしたね」
 彼女の手には、かつて彼女に返した物と同様の鞘があった。
「鞘……そうか、アヴァロン……」
「シロウが気付き、返してくれたのです。今際の際に、形見として」
 呟く彼女の心はその時にまで飛んでいるのだろう。別れの悲しさを思い出したかのように、悲痛な面持ちになる。だが、それも一瞬。
「それにしてもシロウ。本当に、強くなりましたね。――――――いいえ、よくよく思い出せば、貴方は元から強かった。それは別としても、この結果は見事です」
 その声には惜しみない賞賛と感嘆が含まれていた。
「最終的に負かされておいてそう言われても、説得力がないのだが……」
 そこまで悔しそうにしなくても、と言われた。そんなつもりは毛頭無いのだが……そうなのだろうか。いや、とうとう彼女に追いつけたという喜びがぬか喜びでしかないとわかったのだからそうなっても仕方ないはずだ。
「鞘が手にあるということは……もしかして、最初から」
「はい。かつての望みが間違いであった事は既に別っています。やり直しを求めれば、それまで尽力してきた全ての人々の思いが無駄となる――そのくせ、よりよい結果が出るかどうかなんてわからない。もし全てを犠牲にすることなくよりよい結果が求められればあるいは望んだかもしれませんが、それが不可能である以上、私の望みは間違っていたのです」
 セイバーは胸に手を当て、真剣な眼差しでこちらを見ている。昔から変わらぬその仕種。なぜか安心を覚えた。
「ならば、どうしてそう初めから言わなかった?」
「貴方の本当の実力を試したかった。ただそれだけです」
 セイバーは笑顔を見せた。どうしてそこで嬉しそうにするのだろう。俺が彼女に付いていけるようになったことが、そんなに嬉しかったのだろうか? それとも……もしかするとあれ以降、彼女もずっと全力を出せた事がなかったのかもしれない。だから、久々に全力を以て戦えたことが彼女を満足せしめた。なぜか、そんな予感がした。
「……とりあえず、今尋ねたいこととしては最後の質問だ。ならば、どうしてここにいる?」
 過ちに気付けたのなら、やはり彼女がここにいるのはおかしい。聖杯を諦めれば、彼女は王としての人生を全うし、眠りにつくことが出来たはずだ。その知名度から英霊になることがあるのかもしれないが……やはり、紛然とした思いがある。
「もちろん、世界と取引をしたからです」
「なんだと?」
 喧嘩腰に問いかける。俺はこんなに怒りっぽかっただろうか。いや、やはり彼女の事だからだ。セイバー、遠坂凛。この二人が絡めば、どうしても自分は熱くなる。
 ――――世界と取引をした? 過ちだとわかりながら、それでも取引は成立させたというのか?
「過ちには気付けたはずではなかったのか?」
「ええ、気付きました。私は間違いに気付けた。そして貴方も答えを得られた。しかし」
 セイバーは真剣に俺の眼を見つめている。そこにはただいつも真摯な彼女の想いがあった。
「英霊は本来記憶を引き継ぐ事など出来ない。私は全てを夢として帰るしかなく、貴方も答えを実感のない記録として知る事しかできなくなるでしょう」
 それは当たり前のはずのこと。答えを得たとして、それは一時の物に過ぎないはずだという――――のに? その時初めて気付いた。俺は、未だ答えを記憶として持っている。
「確かにな。それが英霊、それが守護者というものだ。――だが、実際にはそうなっていない」
 疑問ばかりが浮かぶ。ここはどこなのか、今はいつなのか、英霊の座はどうなったのか。何から疑えばよいのだろうか。
「ええ。それが、私が世界に持ちかけた取引の条件でしたから」
「……なんだと?」
 取引の、条件? ただ疑問のみが浮かぶ。
「英霊エミヤが答えを得た記憶を失わず、英霊となった私と共に常にあり続けるようにする事。それが、私が世界に持ちかけた取引です」
 唖然とする他なかった。彼女の取引の条件は、二人の為のものに聞こえるが……その実は、俺の為のものでしかない。彼女は、記憶を引き継げる。夢の世界だと思いこんだとしても、確かにそれは実感として残る。だから実際には、俺が得た答えをなくさないようにした上で二度と誤った絶望に沈まぬよう彼女が付きそう、そんな条件にしか思えなかった。
 そうだ。自分の死後どのような悲惨な目に遭うか。全てを承知した上で、彼女は俺の為に死後を世界に預けたのだ。答えを得た俺がそれを実感できず、暗い絶望の中に留まり続けることを防ぐ為に。
「どうして。……どうして、そんな事を」
「決まっています」

 セイバーは胸を張って、誇らしげに答えた。



「私は、貴方の剣となる。その誓いを、最後まで果たす為に」













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