― Dream at Dawn ―



 迫り来るのは、血液の緋色をそのまま固めたかのような絶対的な死。その色が、否応なく先程心臓を貫かれた時の感触を思い出させる。
 間違いなく死ぬ。どう足掻こうが逃れられない。でも、もう、死ぬのはごめんだ……!
 瞬間、まばゆい閃光が世界を包んだ。
「なに?」
 ランサーの槍が届く直前、背後からの閃光がランサーを直撃し、そのまま土蔵の外まで吹っ飛ばされていった。
 背後で爆発的に膨れあがる魔力。振り返るとそこにいたのは――――もし一言で現すならば、魔女だった。西洋の御伽噺か何かに出てくるような、深々とフードを被り、暗い色のローブを羽織った女性。ただ、魔女と表現したくなったのはその服装からでも、一瞬でランサーを吹き飛ばすほどの魔術を使ったその能力からでもない。フードから僅かに覗く顔。恐ろしいほどに美しく、どこか人形然としたその顔は、この世の者とは一線を画するように思えたのだ。
「あら……? 坊やが私のマスターかしら?」
 え? と聞き返す。それは坊やと呼ばれたことにたいしてか、それともマスターという単語にたいしてか……たぶん後者だったと思う。だが、魔女はそんな俺の言葉を全く聞いていなかったのか、俺の腕を見つめ――朝に僅かに見えていた痣があった――頷いた。
「契約はここに完了よ。その割には魔力がちっとも流れてこないけど……まあいいわ。
 キャスターの名において貴方をマスターとして認め、契約の証したる令呪に誓いを捧げます」
 話の流れがさっぱり掴めない。先程ランサーを吹き飛ばした魔術を考えると、キャスターと名乗る彼女は間違いなく相当な実力の魔術師だと思う。ただ、マスターとかそういった単語の意味がさっぱりわからない。
「……外にまださっきのサーヴァントがいるようね。さっきばかり漂わせて不躾なことこの上ないわ、とっとと始末してこようかしら」
 言うなりキャスターは土蔵の外に飛び出す。待て、と言おうとしたけど間に合わない。
 いけない。あれは人のみで敵う相手じゃない。キャスターと名乗る彼女がどれほどの腕前だろうと、あんな化物に太刀打ちできるはずがない。そして何より。キャスターは女性だ。女性を危険な目に遭わせるべきではないし、遭わせたくない。俺が何とかして時間を稼いで、彼女だけでも逃がさないと――!

 だが、外に出て目撃した光景は予測とはまるで違うものだった。
「チ、まさかこれほどの使い手だったとは思わなかったぜ。キャスターだからと言って、甘く見すぎたか」
「この程度で音を上げたら、ランサーの名が泣くわよ。ほら、もっと踊りなさい」
 次々とキャスターが光球を生み出してはランサーに向けて飛ばしていく。その一つ一つに信じられない程の魔力が込められ、どれか一つが当たっただけでも即死は免れないだろう威力を秘めている。そんな光球が様々な軌道を描いて飛んでくるのだから、ランサーもさすがに避けるしかない。だが。
 ふ、と光球が打ち止んだ。即座にキャスターは新たな魔術を――先程よりは劣るものの、大魔術と呼ぶに相応しいものを一瞬で――放つが、今度はランサーは動かない。観念したのかと思った、が……。
「さっきのはやばかったが、この程度の魔術じゃほとんど効かねえな。こりゃやっぱ期待はずれだったか」
 チッ、と舌打ちしながらランサーは平然と槍を構えた。既にランサーにとってキャスターは敵と見なせない程度の存在になったのだろう、どことなくつまらなそうな顔だ。
「耐魔力に全ルーンの護り……! ルーンマスターか、それとも違う英霊かは知らないけど、確かにその守りを崩すのは骨ね……」
 キャスターは自身の魔術を打ち消され一瞬動揺を見せたものの、落ち着きを取り戻している。
「崩す必要なんてねえ。――――ここで消えろ、キャスター」
 ランサーが構えを取った瞬間、周囲のマナが爆発的に吸い込まれはじめる。これでは、あのときと同じ――!
「同感よ。ここで消えなさい、ランサー。……もっとも、消すのは私じゃないけれど」
 その瞬間、キャスターが魔術を発動させた。一瞬にして、ランサーの周囲がガラスか何かに変わったかのようにランサーごと固められる。空間ごと、時を止めたとでもいうのだろうか……?
 それでランサーが動けなくなったことを確認すると、続けてキャスターは詠唱を始めた。周囲に浮かび上がる魔法陣――土蔵の中にあったのと同じもの。
「――――抑止の天秤より来たれ! 守護者よ!」
 瞬間、また魔力の爆発があった。先程土蔵で見たのと同じ、閃光が走る。あまりの眩しさに目を閉じた。そして、数瞬の後。眩しさが消え、目蓋を上げると意外な光景が目の前にあった。
 地面に倒れ伏したキャスター。そのキャスターを守るかのように前に立つ、長身の男。時代がかった青い陣羽織の背後で、後ろで縛った長髪が風になびいていた。手には、五尺はあろうかという長刀。その細く長く鋭い姿が、本人の印象とだぶって見えた。
「……ふむ。まさかこのような形で呼び出されようとは。滑稽至極、されど愉快なことよ」
 細身の男が口を開いた。その言い回しはどこか芝居がかっていて、しかしそれが似合う。
 唐突に男は表情を険しくした。視線の先には、動けなくなったままのランサー。だが、心なしか動き始めているようにも見える。いや、動き始めている。キャスターの魔術が、解けたのだ。そして次の瞬間、ランサーの周囲を覆っていた何かはガラスのように粉々に砕け散り、霧散した。
「……まさかサーヴァントがサーヴァントを呼び出すなんてな。てめえ、何者だ?」
「セイバーのサーヴァント、佐々木小次郎」
 名乗りは高く、遠く響いた。
 佐々木小次郎。長刀を愛用し燕返しなる秘技を生み出したと言われる、伝説の剣豪。宮本武蔵に破れこそしたものの……その名はあまりにもよく知れ渡っている。だが、まさか……この男が、あの佐々木小次郎だとでも言うのか? 驚くより他なかった。
「テメェ。気でも振れたか? まさか自分から真名を名乗るサーヴァントがいるとはな」
 理由は全然違うものの、ランサーも驚いた様子だ。だが、今の言い分だとこの男が佐々木小次郎だというのは間違いないことなのだろうか……死んだはずの人間が今ここにいるとでも言うのか。なんでさ。
「気分を害したか、これは失礼をいたした。これがこの国における流儀なのでな……名乗らぬ方が良かったか?」
 佐々木小次郎を名乗る男は飄々としたもの。しかし視線は絶えず研ぎ澄まされており、いつでも戦えるように心構えている。
「まあよい。どちらにしても、目の前の敵を切るのみよ」
 セイバーの刀が鳴った。

 それが、戦闘開始の合図。

 ランサーは視認が難しいほどの速さで槍を繰り出す。一撃から次の一撃を繰り出すまでの間に戻りの間はない。ゆえに、繰り出される槍撃は間断のない連続の一撃となる。さらにその全てが必殺。全てを防ぎきれなければ、その時は命を代償に取られてしまう。
 だが、セイバーはそれを全て細身の長刀一本でいなしていく。決してその速さはランサーに劣らない。いや、むしろわずかに上回っているのであろう。でなければ折れやすく力負けしてしまうであろう長刀で捌ききれるはずがない。それを可能とするセイバーの速さは、更に計り知れぬものであった。
 ランサーの一撃がわずかにずれた瞬間、セイバーは反撃に打って出た。槍と槍との間に一撃を放つという信じられぬ一閃。だがそれをセイバーは可能とし、ランサーはそれゆえに下がらねばならなくなった。
 下がったランサーが槍を構えると、再び周囲のマナがランサーに飲み込まれていく。あの構え、この形、まずい――――
「刺し撃つ(ゲイ)――――死棘の槍(ボルグ)」
 繰り出された槍。それは狙いを大きく過たれ、セイバーの足元に向けて突き出された。



 その瞬間、セイバーははっきりとした恐怖を感じていた。背筋が凍りつき、逃れようのない死が己の身を食らい尽くす感覚。このままでは、死ぬ――。
「ぬうっ」
 その一撃を半身になり、全力で下がって回避する。避けた、いやこれではまだ足りぬ、もっと下がれ――――!
 この時セイバーは今までにない面妖なものを見ることになる。
 槍が、曲がり、伸びた。
 ランサーの槍は因果を逆転し、必ず心臓を貫く呪いを持っていたのだ。それゆえ必殺。それでこそまさしく宝具。放たれた槍が既に心臓を貫くと言う結果を得ている以上、セイバーにとって死は避けられないはずのものである。だが、しかし。
「ばかなっ!」
「ぐっ」
 ランサーの槍が貫いたのはセイバーの右肩だった。決して致命傷にはならない一撃。
 セイバーの幸運は、半端なものではない。死に神でさえも恐れ道を譲るほどの幸運。それがランサーの槍を回避するただ一つの方法でありこの結果をもたらしたものであった。



 チ、とランサーが槍を引き抜き下がると同時に、再びランサーを光球が襲った。
「あと少しだってのにまったく、邪魔しやがって」
 ランサーは距離をとり、キャスターを睨みつけている。一方キャスターは荒い息をしながらも、いつでも魔術を放てるよう構えていた。いつ戦端が開かれるとも限らない極限の緊張。その均衡を崩したのは、ランサーの意外な言葉であった。
「こうなりゃ休戦といかねえか?
 そっちはどちらも万全ではないし、こっちも二対一はさすがにきつい」
 その言葉は、確かに互いの状況をよく表していた。満身創痍とまではいかなくとも万全とは言いがたいキャスターとセイバー、数の上で絶対不利なランサー。どちらにとっても良い状況ではない。
「ならばさっさと逃げなさい、クランの番犬。吠えるだけでは底が知れるわ」
「チッ。これだから使いたくなかったんだが……まあいい。
 うちのマスターも帰って来いと言ってやがる。それじゃ、あばよ!」
 言い捨ててランサーは跳び上がり塀を越えていった。
 ほっと一息をついてキャスターの方を見ると、彼女もこちらを向いたところだった。
「とりあえず急場はしのいだけど……外にまだいるようね。迎撃するか逃走するか、マスターはどちらがお好みかしら?」
「どっちの必要もないわよ」
 突如門が開かれた。そこにいたのは、間違いなく……。
「遠坂!?」
「こんばんは、衛宮くん。とりあえずわたしたちは休戦とはいかないかしら」
 学園のアイドルであり、そして俺が密かに憧れを抱いていた少女、遠坂凛に他ならなかった。
「まさか衛宮くんも魔術師だったとはね。まだ他にも学校にいたなんて、迂闊だったわ」
 遠坂は俺の驚きなんて全く目にも入っていないかのようにずかずかと家の中に入ってくる。俺の都合とか、そんなのは全くお構いなしのようだ。そんな様子に、本当に彼女があの遠坂凛なのかがわからなくなる。
「なあ……お前、本当に遠坂なのか?」
「え!?……他にいるっていうなら、こっちの方が教えてもらいたいんだけど。どうしてそんなふうに思ったのかしら、衛宮くん?」
 溜息を吐いてから、遠坂はすごく晴れやかな笑顔で問いかけてきた。……獲物を前にした肉食獣の表情のように感じるのはどうしてだろう。何か、嫌な予感がする……。
「いや、学校でのおしとやかなお嬢様っぽいイメージとあまりに違うから……」
 しまった、口に出してしまった!
「どう違ったのかしら? 詳しく言ってもらわないとわからないわよ?」
 変わらず笑顔だけど、間違いなく青筋を立てているっぽい。たぶん顔の前を腕が通り抜けると、般若も逃げ出さんばかりの恐ろしい表情に……。想像しただけでも、背筋が凍りつく。さっき死にかけた時より、ある意味もっと怖いかもしれない。
「い、いや、なんでもない! そ、それより、『衛宮くんも』ってことは、遠坂も?」
「ええ、そうよ。それもあなたみたいなモグリとは違う、むしろそれを取り締まるための管理者」
 笑顔が一段と凶悪になる。……もしかして、俺、死刑確定なんですか?
「おしゃべりもその程度にしておいた方が良いわよ、お嬢さん。一応そこの坊やはマスターだから、さすがに手出しをされるわけにはいかないの」
 追いつめられた俺を救ってくれたのは、キャスターの言葉だった。坊や扱いがちょっと悲しいが。
「……そうね。確かに無駄話をしている暇もなさそうか。さっさと中に入って、詳しい話をしましょう」
 そう言い残して、遠坂は勝手に玄関の戸を開けて家の中に入っていってしまった。俺は呆気にとられ呆然としてしまい、その横でキャスターは不可解そうに眉を顰め、そんな様子を遠くから見ていたセイバーが愉快げに笑みを浮かべていた。



 その光景はあまりに奇妙だった。居間そのものは夜中だということを除けば、いつもと変わらない――割れた窓ガラスは、遠坂が治してくれていた。だが、居間の机を囲んで隣にはキャスターが、後ろの壁沿いにはセイバーが、そして正面には遠坂が座っている。この状況はどう考えても歪だ。だが、その歪さはむしろ、その状況で聞いた話の方により感じることとなる。そう、遠坂から聞く聖杯戦争の話は、どれも常軌を逸したものだったのだ。
 マスターとサーヴァントが聖杯をめぐって殺しあう?
 冗談じゃない! 
 どんな願いが叶うというのか知らないが、そんなことのために殺しあうのは間違っているとしか思えない。しかも、その仮定で無関係の人々まで犠牲になるかもしれないのだ、そんなことを許せるはずがない。だから、俺は聖杯戦争に参加するつもりはない、そう伝えると、遠坂はいよいよ俺を厳しく睨んできた。
「いい? 衛宮くん。先程話したように、サーヴァントにも聖杯を使って叶えたい願いはあるわ。そうでもなければ、人よりはるか上位に位置する英霊が使い魔として手を貸してくれるはずがないでしょう? あなたの隣に座っているキャスターにも、後ろにいるセイバーにも叶えたい願いはあるはずなのよ」
 その言葉を俺は何故か少々意外なものとして受け止めていた。英霊になるほどの英雄が死後になお望むことがあるのが不思議だったからだろうか? いや、そんな理由ではないはずだ。ただ、少なくとも……セイバーが戦いの中に見せていた表情は充実していて、思い残しがあるようには見えなかった。しかしキャスターの方はよくわからない。
「キャスター、キャスターにも聖杯で叶えたい望みがあるのか?」
「え、ええ、まあ」
 キャスターは少々驚いたかのようにこちらを覗き込んだ。どうしてそんなことを尋ねるのか、とその瞳が問いかけていた。その答えは、簡単なことだ。
「わかった。じゃあ俺はキャスターのために聖杯を手に入れる。もちろん誰も死なないようにして、だ。その方が被害も少なくできるはずだし。それでいいな、キャスター」
「え、ええ、ええ? え、ええ……」
 キャスターは慌てたような声を出したが、確かにそこには肯定の意が含まれている。ならば、俺がすべきことは決まった。
「遠坂、俺も聖杯戦争に参加する。キャスターが聖杯が欲しいって言うのなら、キャスターのために聖杯戦争の勝者になる。犠牲者を出さないようにして。それでいいか?」
 遠坂の目がきらりと光る。睨みつけるわけでもなく無表情なその顔が、むしろ怒りを如実に表している。先程までとは違う、敵を見るような冷ややかな視線。
「衛宮くん、それは本気で言っているのかしら? 話してなかったかもしれないけど、サーヴァントとマスターはどちらが欠けてもいけないの。そして存在としてはマスターの方が圧倒的に脆弱で急所になる。だから」
「普通はマスターの方を狙う、って言うんだろ? でもそれは相手がどうするかって話なんだから、こっちがそれに合わせる必要はないじゃないか」
 そう。確かに、それが常套手段なのかもしれない。だからといって俺がそうする必要はないのだ。そんな俺の言葉を聞いて、遠坂は大きくため息をついた。
「はあ。多分、衛宮くんは言い出したら聞かないんでしょうね。まあいいわ、そういうことならわたしも特に反対はしないから」
「そっか。ありがとう、遠坂」
 頭を下げると遠坂は慌てて何かを言い出した。
「ちょ、何でそこまでお人好しなのよあなたは。別にあなたのためを思ってしているわけじゃないんだし、その」
 顔を真っ赤にして言い訳をしているあたり、遠坂もお礼を言われて相当照れくさかったんだろう。その姿がやけに可愛らしく感じた。
「マスター。例え今は休戦状態とはいっても、相手もマスターであることを忘れぬように」
 キャスターから釘を刺された。言われてみれば、悔しいがその通りだ。考えたくもないが、遠坂だって敵に回らないとも限らない。たった今、俺はその宣言をしたのに違いないのだから。だが、今はその可能性を考えたくなかった。



 なぜか門から出られなかったためセイバーを家に残し、俺たちは新都にある教会へと向かった。そこに聖杯戦争の監督者がいるらしいのだ。あまりに知識のない俺のためにも、そこで話を聞く方が良いということになったのだが……。
 結論から言いたい。やつは俺とは相容れることのない存在だ。家を出る時にちらりと姿を現した、遠坂のサーヴァント――アーチャーらしい――に対して持った感情にある意味で似ている。だがどちらも決定的に違うものだ。それはいずれ明らかになるのだろう。
「明日からは敵同士ね。とりあえず今は、死なないことを祈っているわ」
 こんな事を思うのは心の贅肉だけどね。そう最後に遠坂は呟いた。敵同士というのは確かに間違いない。だが、俺のことをここまで気にかけてくれた彼女とは、やはり敵になりたくない……。
「遠坂。そのことなんだが、本当に俺たち明日から……」
「――――ねえ、お話は終わり?」
 幼い声が歌うように夜を切り裂いて届く。月光に照らし出される巨大な影と、月影を纏うように立つ少女。
「何よ、アレ――」
 遠坂までもが、驚きの声を漏らす。いや、遠坂だから辛うじて声を漏らせたのか。俺は恐怖のあまり呼吸さえおぼつかなくなっている。あの巨漢は、まずい。間違いなく、出逢ってはいけない相手だ。喩えるなら、絶対的な死そのものが形を持ったかのような、そんな存在。
「こんばんは、お兄ちゃん。キャスターを呼び出したんだね。そしてはじめまして、リン。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン」
「アインツベルン……」
 凛は忌々しげに舌打ちを返した。その様子からも、出逢ってはいけない相手に出逢ってしまったのだとわかってしまう。そしてそんな俺たちを見て、イリヤスフィールと名乗った少女は満足げに微笑んだ。
「じゃあ殺すね。やっちゃえ、バーサーカー」
「■■■■■■■■■■■■■■――――――――!」
 少女の言葉と共に、巨躯が吼えた。その瞬間、場は静から動へと転じる。
「アーチャー、出番よ」
「キャスター、出てきてくれ」
 それぞれの呼びかけにサーヴァントが答え姿を現す。アーチャーは双剣を取り出すとすぐさま構え、キャスターは俺の前に立ち魔力を練り上げ始めた。
「ちょっと待てキャスター、前に出るな」
 そう言ってキャスターの前に立とうとすると、キャスターが信じられないものを見た、といった顔で俺の方を睨みつけてきた。
「何を考えているの、マスター! マスターを失えば、サーヴァントも終わり。だというのに……」
「でも、キャスターは女の子だろう。女の子が前に立って戦うのはおかしい。だから、俺が……」
 どん、という音とともに後ろに投げ飛ばされた。信じられないが、キャスターが俺を投げ飛ばしたらしい。
「寝言は寝て言うように。ええ、寝てからならいくら言っても構わないから」
 本気でキャスターが怒っているのがわかったので、何も言い返せなかった。
「……まさかこのタイミングでコメディを見せられるとは思わなかったわ」
「……ええ、わたしも。どうせならこのまま戦う気もなくして帰って欲しいところだけど……」
 少女二人が溜息を吐いている。いや、こんな場面でするような喧嘩じゃなかったけどさ。
「ゴメンね、リン。今はむしろ全員ぶち殺したい気分なの。だから……遠慮はいらないわ。全力でやっちゃいなさい、バーサーカー」
 その言葉とともに、身長二メートルを超える巨人が世に放たれた。バーサーカーは岩塊とも呼ぶべき大剣を本能のままに振るい、通り道にあるあらゆるものを破壊しつくしていく。その様は暴風、いや竜巻だろうか。アーチャーもキャスターも、巧みに相手の攻撃をあるいは避け、あるいは受け流しながら、俺たちのいる方向とは別の方向へと後退していく。バーサーカーの一撃一撃が旋風となって襲いかかり、二人はそれをしのぐことしかできていない。その上この場所だと、マスターがいて戦いづらいのだろう。暗に不要だと言われているようで、何もできないのが歯がゆかった。
 その巨体から、バーサーカーは単なるパワー重視型のサーヴァントだと思い込んでいた。しかしその実態はまるで違う。見る限り、先程見たランサーやセイバーと同程度以上の速さを誇っているのは間違いない。バーサーカーの攻撃は技巧も何もない、本能のままに振るわれるようなものでしかなかった。だがその速さ、力、全てにおいて相手を決定的に上回るならば、技能の差は簡単に覆されてしまう。事実、二対一であるにもかかわらずキャスターもアーチャーも攻勢に転じることができていない。そのまま押され続ければ負けるしかないのだから、何か手を打たなければ……。
 ふ、と大きく距離が開いた瞬間、キャスターが攻勢に転じた。一瞬で周囲のマナを集め魔術を次々と放つ。コンマ数秒で作り上げた魔術にもかかわらず、その一つ一つに計り知れない力があるのがわかる。その数、例えバーサーカーであろうと避けきれるものではない――――!
「うそ……!」
 遠坂が驚きの声を上げた。キャスターの攻撃が何発もバーサーカーに当たったというのに、バーサーカーには小さなかすり傷さえなかったのだ。そんな馬鹿なことがあってよいはずがない。キャスターの魔術は一つ一つに十分一般人を殺せるぐらいの威力があったはずだ。そのような攻撃が一つも効かないなんて。遠坂が先に驚愕の声を発していなければ、俺がそうしていただろう。
「無駄ね。だってバーサーカーはね、ギリシャ最大の英雄よ」
「ギリシャ最大の英雄って、まさか……?」
 イリヤスフィールは愉しげに瞳を細めた。
「そうよ。彼はヘラクレス。あなたたちが使役できる程度の英雄とは、格からして違うんだから」
 イリヤスフィールが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。たしかに、今のような威力の攻撃でさえ効かないとなると問題だ。だが、もしそれが魔術が効かないだけであればあるいは……。
「なるほど、その通りのようだな」
 アーチャーが持っていた双剣の一方をバーサーカーに投げつけた。アーチャーの名に相応しく、その一撃は見事にバーサーカーの目に向かう。だが飛剣は命中したにもかかわらずはじかれ、バーサーカーには相変わらず傷一つなかった。
「拙いわね。バーサーカーには生半可な攻撃じゃ届かない。遠距離攻撃タイプのあの二人の場合、おそらく接近戦を続ける限りそんな攻撃をすることは出来ないか。そうなると、これは撤退を考えた方がよさそうね。でもその場合は……」
 遠坂がぶつくさ何かをつぶやきながら考え事をしている。遠坂なら何か良い考えが浮かぶかもしれない。
「遠坂。何か名案はないのか?」
「あの二人に任せて逃げて、それでも逃げ切れるかどうかよね。この位置関係だと……」
 だめだ。考えに没頭してしまったらしく、遠坂はこちらが話しかけているのに気付かない。このままでは拙い。どうすればいいのか……。

 無情なまでに打つ手がない。キャスターとアーチャーの二人は徐々に押されてきている。例えサーヴァントといえど、疲れと無縁というわけにはいかない。バーサーカーの動きに慣れてきたため、避ける際の無駄は減らせてきている。だが結果として剣圧による傷は増え続けていた。
 そしてとうとうジリ貧の均衡が崩れる。バーサーカーの一撃をかわしきれず、アーチャーが双剣でバーサーカーの剣を受けてしまったのだ。たった一振りでしかないにもかかわらず、アーチャーは軽々と飛ばされてしまう。剣圧で腹に大きな傷を負ったらしいのが遠目でもわかった。
「役立たずね……くっ」
 続いてバーサーカーはキャスターに向かってくる。一対一で勝ち目があるとは思えない。
「キャスター!」
 キャスターは横に跳んで最初の一撃をかわす。しかし続けざまの二撃目に対処するすべを持たない。もう駄目か……? だが、そんな予想はいい方向に裏切られる。
「――――!」
 キャスターが何かの呪文を唱えると、バーサーカーとの間で大きな爆発が起こった。その爆風をローブで受け、キャスターは大きくバーサーカーと距離をとる。同時にバーサーカーにも初めてダメージを与えられたらしく、バーサーカーの動きがわずかに鈍っている。その隙を狙って更なる大魔術の詠唱をキャスターは開始した。だが。
 バーサーカーの動きが鈍ったのは、本当に一瞬だけだったらしい。気付いたときにはキャスターに向かおうとしていた。詠唱が間に合わなければキャスターは間違いなく一太刀でミンチにされてしまう。それを許すわけにはいかない!

「それにしても……え? 衛宮くん!?」
 気付くと、体が動き出していた。キャスターは動かない。いや、動けないのだ。
「あ……」
 何が原因かはわからないが、キャスターはバーサーカーを前にして調子が落ちている。先程のランサー戦と比べれば一目瞭然だ。だから、キャスターを助けなければ――――!
「■■■■■■■――――!」
 バーサーカーの咆哮。もう既に他に取れる手段はない。そうして、俺は。

 キャスターを突き飛ばした。

 安全な程度の距離までキャスターが離れたことを確認した瞬間、ぞぶりと肉を貫く感触がした。切られたのか、と思ったが違った。その直後に起こったのはまさしく爆発。腰から足にかけて、体内から爆発したかのような感触がした。痛みなんて感じる暇さえない。目の前が真っ暗になって、ただそれだけだった。
「衛宮くん!」
「え? なんで、お兄ちゃんが?」
 遠くなる現実の向こうから、微かに驚愕の声が聞こえた。
「……つまんない。どうしてそんなことをするのかわかんない。帰ろう、バーサーカー」
 意識がだんだん薄れていく。もう全身の感覚さえない。そんな中で、キャスターが俺を呼ぶ声が聞こえたような気がした。










 全身に走る痛み。それを認識したことで覚醒が促された。
「痛ぅっ!」
 痛みで飛び起きる。目を開けたとたん飛び込んできた光量に思わず顔をしかめた。眩しい、ここはどこなんだろうか……と思いながら目を見開くと、見慣れた風景が広がっていた。
「ここは……俺の家の居間?」
「そうよ、マスター」
 すぐ隣で声がした。顔を向けるとキャスターが座っている。その表情にはわずかながら心配をしている様子が見受けられた。
「キャスター……あの後どうなったんだ?」
 それはしなければならない問いかけ。あの時俺の体は切り裂かれ潰され、、ぼろ雑巾のようにされてしまったはずだ。それがこのように生きているなど……ありえない。ならば、あの後何があったのかを確かめなければならない。
「バーサーカーを連れてイリヤスフィールが帰ったのよ」
 廊下の方から声がしたので目を向けると、遠坂がそこに立っていた。その表情は安堵と不審と疑念を織り交ぜにした複雑なものだ。俺のことを心配していてくれたのかもしれないが……不審と疑念の理由がわからず、わずかに困惑を覚える。
「おかげでわたしたちは見逃されてこうして生きてるってわけ。でも……」
 そこで遠坂は言葉を止めた。俺の目を真っ直ぐに睨みつけてくる。その迫力は俺の知ってる遠坂のイメージとかけ離れていたばかりか、まったくの未経験のものであった。
「どうして、生きているのかしら?」
 その言葉は腹にずんと来る重みを持っていた。敵意とまではいかないものの、既に不審は不信の域に達しかけている。それだけの何かがあったというのだろうか。
「どうしてって……俺の方が知りたいぐらいだ」
 偽りなく本心を述べる。空気が重い。睨み合いが続く。目を逸らせば悪い結果以外に残らないように思えて逸らせない。沈黙が続く。冷や汗が流れる。寒気が電流となって走り全身を蝕む。
 そうしてしばらくのち。
「はあ。まあいいわ。何か問題があるようならいずれわかることか。とりあえず今日はさっさと休んでしまいなさい。いい? 士郎」
 視線を下げ、ため息とともに遠坂が口を開いた。目を伏せがちなのは、何か釈然としない思いが残るためなのだろう。……当の本人が、一切状況を理解していないのだが。
 結局、遠坂は部屋を出て行った。その際、「このまま帰ると危険だから泊まっていくわ」などという爆弾発言を残して。後でキャスターに聞いたところによると、アーチャーの傷が決して浅くなかったため戦闘に支障をきたすと判断し共同戦線を張ることにしたらしい。話ばかり勝手に進んでいくのは気のせいだろうか。

「で、キャスター。どうして俺、生きてるんだ?」
 それがやはり最大の疑問。避けることは出来ない。答えを知ってしまうことに恐ろしさを感じたが、それでも尋ねないわけにはいかなかった。
「バーサーカーの攻撃を受けてもマスターにはまだ息があったわ。だから私の魔術で治した。ただそれだけのことよ」
 キャスターの返事は即座に嘘とわかるものだった。視線が僅かに揺れているし、何よりその程度なら遠坂があれほど訝しがるはずがないではないか。
 だが、なぜそんな嘘をつくのだろうか、と考えて困った。キャスターは必要ないことまで嘘をつくような人物だとは思えない。ならば、話せない理由があるのだろう。
「わかった。ありがとう、キャスター」
 俺は素直に頭を下げた。少なくともキャスターが助けてくれたことに変わりはない。ならば礼を言うのが当然のことのはずだ。
「え? あ、れ、礼を言われるような事じゃないわよ。マスターがいなければサーヴァントも現界できないんだもの」
 不意打ちに少々驚いたのか、キャスターは一瞬うろたえたような様子を見せた。
「だから、坊や。今日のような真似はもうやめなさい」
 続いた言葉は、突然氷よりもはるかに温度の低い冷気を含んでいた。微かな怒りと、失望にも似たような何か。多分、そんな感情が込められていたと思う。
「サーヴァントは所詮使い魔。その死とて本来の意味の死ではないわ。でもマスターが死ねばサーヴァントも現界できなくなってしまうのよ。優先順位を履き違えないようにしなさい、マスター」
 相変わらず冷たい声で続く。だが、それを認めるわけにはいかない。
「それはだめだ。たとえそうだとしても、俺がキャスターを守る。だってキャスターは女性なんだ。男の俺が戦わないでどうするんだ」
「私の話を聞いていなかったの?」
 キャスターの目が妖しく光った。何か良くないものを感じる。だが、それでも。
「聞いたよ。その上で言ってる。俺が、キャスターを守るって」
 言い切った。本心なのだから迷いなんてない。だから、キャスターの目をはっきりと見返して言った。
 沈黙が続く。

 結局折れたのは、キャスターだった。
「仕方ないわね」
 しぶしぶ、といった態度を隠そうともせずキャスターは答えた。
「とりあえず、今日はもう休みなさい。明日以降の戦いに響かせるわけにもいかないものね」
 キャスターはゆっくりと立ち上がった。視線だけは俺から逸らさない。
「今日はセイバーに見張りをさせておくわ。それくらいは構わないわよね?」
 言葉とともに現れたセイバーが俺を担ぎ上げた。そしてそのまま奥へと運んでいく。暴れようとしたが、思ったように力が入らない。
「今後はセイバーを前面に立てて戦うわ。マスターもそのつもりで」
 キャスターの宣言とともに、襖が閉められた。
 暗くなった途端に意識が飛びそうになる。どうやら、思っていたよりも疲れている……らし……。







 裏切られることが当たり前だった。
 心をも操られ、本来ならば意にそぐわぬはずの結婚をさせられたこともある。魔女と呼ばれ忌み嫌われたこともある。だが、決してそれらとて悲しみしかもたらさないものではなかった。本来の意思とは違えていたとしても、愛していたし愛されていたのだから十分幸せだといえただろう。魔女と呼ばれたのはそれだけのことをしたからであるし、その結果として幸せを手に入れられたのであれば悲嘆にくれるような事柄だとも思えない。

 裏切られさえ、しなかったならば。

 欺瞞であろうと偽りであろうと、幸せになれるのであればそれ以上のことを求めるつもりはなかった。しかしそんなささやかな願いでさえ全て裏切られるのだ。全てを捨ててまで偽りの想いのためにわが身を尽くしたがために、たった一つの寄る辺にさえ裏切られてしまうことになったのは運命だったというのだろうか。

 そう、裏切りこそ私の生涯の全て。
 だからこそ裏切りのない何かを求めた。

 手に入れたものの望みを何であろうと叶えてくれるという聖杯。その正体がどうあれ、希望とするには十分すぎるものだった。何でも叶えてくれるなら、私を裏切ることはないだろう!

 だからこそ、なんとしても聖杯を手に入れたいと願った。
 いかなる手段を用いても構わないと、そう思った。
 ……それこそ、裏切り裏切られることしかない私の生き方そのものだというのに。



 私を召喚したのは、奇妙な少年だった。魔術師でありながら、魔力の欠片も感じられないような少年。何かを成す力を欲しながらもけっしてたどり着けない少年。その癖して無理だけはする少年。

 彼は最初、聖杯戦争をばかげているといい、参加したくないと言い出した。その言葉を聞いた時に私は確信した。私は必ず裏切られ、裏切る運命にあるのだと。それしかない、逃れられないのだと思っていた。だから、その時点での関心は「いつマスターを裏切るか」になった。

 しかし、変化があった。

 私のために聖杯を手に入れる、と言ったマスター。なぜ彼は、何の見返りもなく私のために何かをしようと考えたのだろうか。心の中が読めず、恐ろしいものをどこかで感じた。
 バーサーカーを前に私の前に立ったマスター。彼は死が恐ろしくはないのだろうか? 単に死を知らないだけの子供かとも思ったが、その目は違った。死とは何であるかをわかっていながら、それでも死を恐れぬ光が確かにあったのだ。少し興味が湧いた。
 バーサーカーから庇おうと身を投げ出し私を助けたマスター。何を考えているのかと思ったが、のちに彼がサーヴァントを人扱いしているとわかって少し納得がいった。たとえどれだけ愚かな行動であろうと、助けようとされて悪感情など抱けるはずがない。またその時、彼が今後もこういった行動をとるのだろうかと寒気がしていたのも確かなことだった。
「そうだとしても、俺がキャスターを守る」と言ったマスター。瞳に込められた意思は確固としていて揺らぎようがなかった。その時、初めて私の何かが揺らぐのを感じていた。

 彼を信じてしまっても、いいの?

 裏切られると思っていれば、いいの?

 答えは出そうになかった。



 眠っているマスターの横に座り、顔を眺める。悪夢でも見ているのだろうか、その顔は苦悶に歪み汗をかいていた。額にわずかにかかっている前髪をそっと払いのけ、撫でてみる。
 彼は異常だ。それは間違いない。
 バーサーカーの攻撃で、彼の体は完全に破壊されるはずであった。そうならなかったのは、彼の体から剣が爆発するように飛び出て受け止めたからに他ならない。あまりに不気味な光景に背筋が凍ったのをよく覚えている。だが、真に驚くべきはその後だ。一度飛び出た彼の刃が引っ込むと、その刃による傷はどこにもなかったのだ。全てが幻覚だったのかと思いかねない世界の理にあるまじき現象。可能性は一つ思い当たらないでもないが……。

「まるで母親のようだな」
 突然声をかけられ、思わず身を強張らせた。セイバーが壁に寄りかかってこちらを見ている。
「……私の子供はこんな痴れ者ではないわ。もっと利発だった……のよ」
「……失礼をいたした。古傷を抉るような真似は本意ではない」
 セイバーは詫びの言葉を述べるなり、口をつぐんでしまった。何を言いたかったのだろうか。
「何の用?」
 問い質しても返事は来ない。そうして結局、何を言いたかったのかわからないままセイバーは部屋を出て行ってしまった。

 私は、彼を信じていいのだろうか?

 彼は、私を裏切らないのだろうか?

 一人闇を見つめながら、心の奥に問いかけていた。




 続く

(初版:06/21/2004)
(第二版:06/23/2004)
(第三版:03/26/2005)


 (後書き)
知人のSSに影響されて、「もしキャスターを召喚してしまったらどうなるか」を描きたかっただけの話だったはずが……なんか、結局連載する方向で今考えています。いつ続きを書き始めるかもわからない状態ですけど。未完で終わるかもしれませんが、一応頑張っていこうと思います。

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