遠い日のことを思い出す。
 全ての始まった日、俺が俺となった最初の日。
 その日から俺の生き方は決まっていたはずだった。

 しかし、出逢ったもう一つの理想。
 それは同じようであり、また違うものでもあり――ゆえに美しく、尊かった。
 セイバーの生き方、それ自体が一つの目標とも言える。

 ならば、彼女(セイバー)という(つるぎ)を手にする時。
 手にするために生み出す剣がこの手に既にあるならば。
 そして、剣と共に歩むことを選ぶというのならば。
 俺は――




Fate/stay night SS (つるぎ)をこの手に



 全て遠き理想郷(アヴァロン)、オレがいつの間にか失ってしまったその輝きを目にした時点で悟った。例えどんなにヤツが未熟で、弱くとも――理想を抱き続けられなかったオレには倒せないと。
 いや、そもそも「間違いなんかじゃない」と言い切られた時点で勝負は決まっていたのかもしれない。衛宮士郎が衛宮士郎である限り、勝負とは己とするものに他ならないのだ。それに打ち負けた者が、打ち勝ったものに勝てるはずがない。
 だから、詠唱が始まった瞬間にもさほど驚きはしなかった。展開できるほどの魔力はなかったはずだが……限界とてたやすく覆されるかもしれない、そんな予感があった。全て遠き理想郷(アヴァロン)によって隔てられたオレの世界と、これから生まれ出でるであろう士郎(かつてのオレ)の世界。その距離は近くて遙かに遠い。

 決して超えられない、魔法とてやぶれぬ壁の向こうで詠唱が始まっていた。



  "――――I am the bone of my sneath."(――――体は鞘で出来ている)

 その詠唱は、始まりからして違うものだった。

  "Steel is my body, (血潮は鉄で )and space is my blood."(心は空。)

  "I have received over a thousand blades."(幾たびの戦場を越えて不敗。)

  "Unnecessary a delusion."(ただの一度も敗走はなく、)

  "Nor necessary others' affirmation."(ただの一度も理解されない。)

 理解されない。それは求めないもの。だが、どこかが違う。

  "Withstood pain to suppress many weapons"(担い手は共に在り)

  "waiting for their slumber."(剣の丘で想いに微睡む)

  "I have no regrets.This is the only path."(ならば我が生涯に意味は要らず)

 全てを知ってなお、後悔しないと言い切るそれは――

  "My whole life becomes (この体は)"Avalon for all blades"."(万たる剣の理想郷と成る)

 かつて夢見た理想(かのじょ)と、どこか似ていた。



 詠唱が終わり、炎が走る。それと同時にこの世界における士郎の心象風景が展開された。
「おおぉぉぉ――――!」
 その光景を見た瞬間、涙が溢れるのをとめることは出来なかった。夜明けの太陽が昇る僅か前、遠い地平にその輝きが現そうとするその瞬間――遠い記憶の中にある、セイバーとの永遠の別離の瞬間だった。其処には墓標のように突き立てられた無限の剣もない。あるのはただ、衛宮士郎の手に握られた一本の鞘のみ。それは全て遠き理想郷(アヴァロン)のようであり、また違うものでもあった。
 手に、冷たい滴が落ちた。慌てて顔に手を持ってくると水滴が手に触れる。泣いているのか。まるで他人事のようにそう感じた。もう二度と泣くことはあるまいと、いつの日か誓ったはずであったのに。あの日の光景を再現されて、どうしようもなく涙が溢れてしまっていた。
 そして心に浮かぶのは羨望。妬みのようなものではなく、ただの純粋な憧れにも似たその気持ち――

 展開された全て遠き理想郷(アヴァロン)が役目を終え、その効力を失う。二つの心象世界が真っ向からぶつかる。
 本来は固有結界同士がぶつかり合った場合、打ち消しあうか共存するかどちらかの結果しかありえない。だがこの二つのぶつかり合いがもたらすは、真に異なる結果。触れあった瞬間、衛宮士郎の心象世界にエミヤの心象世界は飲み込まれた。

「な――んだと?」
 ぶつかり合うわけでもなく、両立するわけでもなく。ただ一方的な消失。しかしながらそれは蹂躙というわけでも、上書きというわけでもなく。
 ただ、静かに飲み込まれるのみ。
 実力差、強さ、そんなものを超越している。ありえない。このような結果など、ありえるはずが――
「剣は鞘に収まる。それが道理だろ」
 それは士郎の独白。淡々と述べられたその言葉には侮蔑も哀れみも敵意も何もなく――なぜか、羨望があった。全ては相性ということか。それを理解した瞬間、オレは違う俺の心象世界に飲み込まれる。消えゆく意識の中、一つの世界がかき消えた余波を受け、体が吹き飛ばされているのを感じた。



「剣は鞘に収まる。それが道理だろ」
 驚きに対して返したその言葉、それが全ての結論だった。

 きっかけは、彼女の言葉を思い出したことだった。
『貴方が、私の鞘だったのですね――』
 そう、俺はやっぱり鞘なんだ。"セイバー"と共にある限り、俺は剣(彼女)の鞘であり続けなければならない。だってそうでなければ。彼女は、その還るべき場所を失ってしまうではないか。剣は、鞘に戻るまでその役目を終えることはないのだから。それまで安息はもたらされないのだから。
 投影した全て遠き理想郷(アヴァロン)が、はっきりと告げていた。俺は、鞘なんだと。俺は同種の存在なんだと。だからヤツを真似て紡ぎ始めたはずの言葉は、まったく違うものになった。あの俺は剣だったかもしれない。剣の作り手であり、担い手であり続けたのかもしれない。しかし、俺はその道を選べない。それはきっと、彼女と同じ道を歩む可能性を閉ざすから。作り手であればいいのかもしれない。でも俺が作って彼女が使って。その剣は、どこに還るというのだろう? その剣もまた彼女の象徴だというのに。
 だから、俺は鞘なんだ。剣と共にあり、剣の還る場所。一度抜かれた剣は、振り上げられた剣は、還る場所を持たない限りどちらかが傷つくまで止まらない。誰かが傷つく手段、それは俺が目指した正義の味方なんだろうか。だから、俺は剣ではなく鞘なんだ。
 そんな甘い考えでは駄目だということは分かっている。ただでさえ無力な俺は、何かに立ち向かうための力を――剣を――他のものに代えてしまえば、アイツよりさらに何も成し遂げることができそうにない。それでも俺は。
 彼女(セイバー)と共に歩む道を、選びたい。
 何といっても彼女は俺なんかじゃ届くはずのない理想だ。その現実がただの女の子なのも間違いないから、そうあり続けて欲しいけど――いざというとき、俺には無理なことだって呆気なく成し遂げてしまうだろう。どうしてもというとき、ただそのときにしか剣は必要がないはずだ。

 俺は鞘だ。彼女の鞘であり、そして傷付けられる人々が傷つく前にその刃を収めさせる鞘だ。無理かどうかなんて事は考えない。俺は俺のあるべき、正義の味方をただ張り通すだけ。ただ笑顔を守り、泣く人を見たくない、それだけのためにあるべき正義の味方――



 ヤツが吹き飛ばされるのと同時に俺の世界も消えた。先程と同じ空間が姿を現す。それを確認して、次の瞬間崩れ落ちてしまった。情けないが、さっきので普段使えなかった魔術回路が全てオーバーヒート気味になっている。よく焼き切れずに済んだな、というのが実際の印象だ。この身は……ただ心象世界を現すことにのみ特化した魔術回路。剣を作ることは、その心象世界が剣だったからできたことだったのかもしれない。いや、今でも剣は作り出せるかもしれないけど……まあ、そんなことはどうでもいい。
 振り返ると、セイバーを包んでいた球体が降りてくる。その姿はぼやけ、浮かんでいる彼女がゆっくりと降りてくるだけのようにしか見えない。
 ――セイバーのおかげで助かった。サンキュー。
 こっそりと呟く。
 固有結界を発動できるほどの魔力なんて、俺にあるはずがない。遠坂なら可能なのかもしれないが、俺は逆さにして振ったところで雀の涙にもならないほどしか絞り出せない。今使った魔力は、かつて通したパスから流れてきたセイバー自身の魔力だった。聖杯戦争のときの、サーヴァントである彼女と繋いだラインが有効だったってのは驚きだが、生身の彼女は生み出す魔力の量も半端じゃないらしい。固有結界を展開しても余りある魔力が彼女から供給されていた。
 ヤツと立ち位置が逆だったら。ヤツの後ろにセイバーがいたら、アヴァロンを使っている間は彼女との繋がりも途切れてしまっていただろう。薄氷の上を渡るようなぼろぼろな形でだけど。違う道を歩んだオレに、勝てたわけか。
 ヤツは俺とは違う。俺が目指した正義の味方の辿り着いた先、かくありたいと願っていたはずの俺自身の姿。独りで歩いた道の先に辿り着いた正義の味方は、間違いなく一つの理想だった。だから、道は違ってしまったからこそ。独りで歩けた俺に対しては、敬意と一種の羨望しか浮かばない。
 体を起こす。恐ろしいほど体がきしんで、痛まないところなんてない。それでも迎えに行かないと。悲鳴を上げる足を無理矢理踏ん張らせ、一歩を踏み出す。なんかいろいろとぼろぼろになっている気がするが、まあしょうがない。
 僅かに振り返ってみる。遠坂が何かアイツに話しかけているところだった。アイツは真剣な目で俺を見ている。違う道を辿ったある理想の姿をもう一度目に焼き付けてから、俺はセイバーの元へと向かった。
 ――セイバーを不幸にしたら許さん、死ぬ気で頑張れ。
 応援にも似た声が聞こえたのは、多分空耳だろう。



 士郎の固有結界に飲み込まれた瞬間、わたしを縛り付けていた刃が全て消え失せた。飲み込まれてしまったというのだろうか、だとすればあの固有結界もまたとんでもない。いや、それ以前に士郎が固有結界なんてとんでもないものを扱ってしまったこととか、いろいろと頭を抱えるようなことはあるのだけど……士郎の元に駆け寄ろうと思ったが、なんとなく無粋な気がしてやめた。別に彼女に負けたつもりはないが、だからといって邪魔するのもそれはそれでどうかと思うのだ。だから優先順位二番目を繰り上げた。
 倒れているアイツに近づくと、ちょうど身を起こしたところだった。
「アーチャー……」
「……先程も言わなかったか? 私はアーチャーではないと」
 相変わらずの減らず口。コイツ、剣呑な雰囲気を出そうと口調を尖らせたくせに、むしろほっとしているってのが見え見えだ。こんなやつだったかしら?
「ああ、そうだったっけ。まあどっちでもいいでしょ」
「よくない」
 あら。ご丁寧に大げさに溜息ついてくれちゃって、コイツ。訂正、相変わらずコイツは嫌みなままだ。だから、なんとなく嬉しい。
「……そのような笑みを浮かべるような場ではないと思うのだが……凛」
「へぇ。突然名前? わたしは聖杯戦争途中で離脱したへっぽこにならともかく、あの馬鹿にさえ負けるような頭に超のつくへっぽこに名前で呼んでいいって言った覚えはないんだけど?」
 してやったり。やりこめられると拗ねるあたりまで、やっぱり、その……士郎なんだなって分かる。どんなに変わっても、アイツはアイツのままだ。
「ア……エミヤ、提案があるわ。わたしともう一度契約しない?」
 今度は呆気にとられたような顔でわたしを見ている。突然すぎるかもしれないけど、それでも。
 後悔したままじゃ、救われないから。
「ク……。一つ尋ねさせてもらうが、凛。もう一度というその前は、一体いつなのかな?」
「え? そんなの決まってるじゃない、聖杯戦争の……しまった」
 やば。コイツはアーチャーじゃない、ってわかってたはずなのに。同じ英霊だけどまったく同じ存在ではないって、わかってたはずなのに――
「クッ。相変わらず肝心なところでヘマをするんだな、遠坂」
 堪えきれない、といった様子で笑いはじめるエミヤ。
「なによ。そんなに笑うことないじゃない」
 怒ってみせようとしたが……だめだ、どうしてもこっちまで可笑しくなってしまう。遠坂家の遺伝は、とっくの昔から呪いの域に達しているようだ。……ってちょっと待て。今、聞き逃してはならない何かがあったような。
「さて。そろそろ消える時が来たようだ。達者でな、凛」
「あ……」
 特に外傷があったわけでもないからだろう、アイツは何事もなかったかのように立ち上がった。そして、私の斜め後方に視線を向ける。その瞳には強い意志。
「エミヤ?」
 問いかけに言葉は返らず、ただ一言コイツは呟いた。
「セイバーを不幸にしたら許さん、死ぬ気で頑張れ」
 ああ、きっと士郎に対する励ましの言葉だったのだろう。やっぱりコイツにとって、セイバーはどうしようもなく大切な存在だったのだ。それとも、この世界の士郎が自分と違う道を歩むことをはっきりさせたからか。いや、きっとこの大馬鹿者のことだ。捻くれながらもどこかで初めから応援していて、それがやっと表に出ただけなのかもしれない。いずれにせよ、はっきり言えないんだから不器用なヤツだ。
「凛。勝手なお願いで済まないが、あの二人を頼む。特にあの大馬鹿はどうしようもない、君が手助けしてやってくれると助かる」
 別れの言葉なんだろう。そう思った途端、急に悲しさがこみ上げてきた。好きとか嫌いとかではなく、この期に及んで人の心配ばかりしているコイツが……いや、それは言ってはならない言葉なんだろう。これからもずっと迷い続け、傷つき続けるはずだというのに、その目から先程まで微かに覗かせていた絶望が無くなっている。本当にバカだ。
「うん、わかった。あいつらを、嫌だって言っても首に縄付けて引っ張ってでも幸せにならせるから――」
 あ、やばい。なんでこんな時になって、急に言葉に詰まるんだ。いろいろな想いが溢れて、言葉が出ない。
「迷惑ばかり押しつけてしまってすまない。それとだが」
 突然アイツは後ろを向いてしまった。顔を見ていたらきっとそこに浮かんだものに気付けたはずなのに、それができなくて。気付いた時にはもう、あのときと同じ背中。
「ありがとう、遠坂」
 そんな感謝の一言を残して、アイツは消えてしまった。
「馬鹿……それはまずこっちが言う台詞だってのよ……」
 もう届かないだろう。届いたとしても、それは英霊となってしまったアイツの記憶には残らない。だとしても、やはり伝えたかった。
「ありがとう、エミヤ――」



 駆け寄るのと同時にセイバーを包み込んでいたものが消え、セイバーがふわりと落ちてきた。慌てて抱きとめ、その重さにふらつき、なんとか下半身を床の上に降ろした。そういえば今の、お姫様だっこというものだったのではなかろうか。それに耐えきれなかったというのは……。
「かっこわるいな」
 見られていなかったことに感謝しながら、苦笑を浮かべてセイバーの体を揺する。
「セイバー、起きろ。俺がわかるか?」
 応えるように、顔を僅かに歪ませた。覚醒の時。
「ん……。ぁ……、シロウ?」
「セイバー!!」
 目をはっきりと開いていなかったが声で分かったのだろう、セイバーが俺の名を呼んでくれた。それが嬉しくて思わず抱きしめる。
「痛っ――あ、シロウ?」
 思わず抱きしめすぎたみたいだ。慌てて力を緩めた。
「セイバー」
「シロウ……」
 もう一度名前を呼ぶ。それに応えるようにセイバーも呼び返してくれた。

 あまりにも嬉しくて、あまりにもいろいろな感情がわき上がりすぎて、次に出す言葉が思いつかない。それでも、何とか言うべき言葉が見つかった。
「おかえり、セイバー」
「えっと……ただいま、シロウ」


(了)




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(初版:12/23/2004)


 (後書き)
 というわけでセイバーが無事帰ってきたところでこの話はおしまいです。ちょっと説明の足りない部分を補足しておくと、セイバーは何らかの目的のために時間を止められて遺跡の中にいて士郎が来たことでその封印が解けたんだ、とか、英霊エミヤは本編のアーチャーのようでいて実は違う存在だとか。多分、英霊の座が複数ならもっとセイバーよりの人生を歩んだ存在で、そうでないならセイバーよりの部分をかき集めた存在かなーとか。
 結局の所、私は士郎に「常に独り」なんて言わせたくなかっただけかもしれません。だって、彼の周りにはたくさんの人がいて、決して独りにさせるはずがないんですから。そんな思いを込めて書いたのですが、何はともあれ楽しんでいただけたなら幸いです。

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