俺が目指していた正義の味方。俺がなりたかった正義の味方。
 その正義の味方は、どんなものだったのだろう。

 ――――切嗣。

 他に有り得ない。俺の理想は、俺がなりたかったのは、切嗣の語る理想に、切嗣自身に他ならなかったんだから。

 でも。
 俺がなれなくなった正義の味方は、どっちだったのだろう――――?



   ――笑顔の向こうに――



 結局、夜までは少なくとも俺の家で待機することとなった。今すぐに動くのは無謀だから、それに異論はない。ない、けど……。やはり、どうしても焦ってしまう。イリヤスフィールを信じていないわけではない。いや、信じて良いものかはわからないけど……それでも、信じたいと思っている。だからといって、桜が連れ去られているとあっては、どうしても心配なのだ。何かの間違いで傷付けられたりしないか、お互いに傷付け合ったりしないか――――無駄だとわかっていても、焦燥感が拭えない。
 気持ちを落ち着かせようと土蔵に入り、精神を集中する。魔術の鍛錬でも行えば少しは落ち着くかと思ったけど……駄目だ。こんな精神状態で魔術の鍛錬なんて行ったら、それこそ自殺行為だ。今、そんな簡単に死ぬわけにはいかない。だが。
 精神を集中する。やはり、少しでも強くなることで可能性を高めたい。桜を、助けないと――――。
「ここにいたのか」
 突如入り口から声をかけられる。見れば、背の高い影。
「アーチャー!? ……何の用だ?」
「さあな」
 アーチャーは何かをしようという様子もなく、ただ俺の様子を見ている。何がしたいのかわからないが、邪魔をしようというわけでもなさそうなのでとりあえずほっておくことにした。だが、相変わらず集中できそうにもない。いくら集中しようとしても、桜の顔が、イリヤの顔が浮かんでは集中が途切れる。――参った。このままじゃ、足手まといにしかならない。しょうがないと一旦割り切って中止することにした。
「アーチャー。一つだけ尋ねてもいいか?」
「……言ってみろ。内容によっては答えてやろう」
 俺の問いに対するアーチャーの答えは、やはりどこか腹立たしさを感じさせるものだった。だがこれから問いかけることを薄々承知していたのだろう、表情は真剣だ。
「さっき話した、黒い影。あれは、そう――――

 ――――桜、なんだろ?」

「……おそらくな。何故、気付いた?」
 一呼吸の間をおいて、アーチャーは俺の問いを肯定した。そして返された疑問。どうして、俺があの影を桜だと思ったのか。
「……桜は一番身近な後輩で、妹も同然だったからな」
 ――――本当に、それだけか?
「だから、最初に見た時から本当は気付いてた。ただ、見たものをそのまま信じられなかっただけで」
 ――――信じられなかった? 本当にできなかったのか?
「でも……消去法でいくと、桜しか残らなかった」
 ――――いや、既に直感で気が付いていたはずだ。だから、そう。

 桜に対する想いから、意図的に事実から目を逸らしていたんだ。

「ふむ、大体同じだな。もっとも、こちらは間桐桜がマキリの聖杯だとわかったことが決定打になった点では違うが」
 アーチャーは俯き、何かに思いを馳せるように遠い目をしていた。その目には誰が映っているのか。生きていた頃の大切な人か、それとも。それがどうしてか気になった。
「だとすれば、成すべきことはもうわかっているな? 間桐桜を殺す。それだけが、今果たすべき私達の役割だ」
「なっ!」
 ――――桜を、殺す!? そんなこと、許せない。許せるはずがない。
「そんなことさせない。させるわけにはいかない。桜は、俺が、守る――――」
「――――では、この街の人々全ては犠牲にするのか? 少女一人のために、他の人々全てを犠牲にしようと言うのか?」
 言葉に詰まった。またしても繰り返される問い。大切な一人を守るのか、他の大切な人を含めた大勢を守るのか。だが、それでは。必ず誰かの笑顔を守れない。誰かが零れ落ちてしまう。どちらかしか選べないとしても、それでも。
「違う! 誰も、傷付けさせなんてしない!俺は……」
「正義の味方だから、か?」
 そうだ、と言おうとして声が出なかった。だって、俺は思い知らされたばかりだから。そんな正義の味方にはなれない、と。
「……フン。どちらかを選ぼうというのならあるいは見逃したのだがな。だが、貴様を生かしておけば今後に支障をきたしかねん。――ここで終われ、衛宮士郎」
 いつの間にか双剣を手にしていたアーチャーが斬りかかってきた。慌てて横にとんで転がる。だが、そんな回避など無意味。起きあがろうとした瞬間、振り下ろされる柳刃が見えた。

 死ぬのか?――――死ねるはずなんてない。アレを受け止めればいい。
 受け止められるのか?――――何を強化しても無理。アレを受け止めるならば、アレと同じものでなければならない。
 ならば――――アレを作り上げるしかない!

 キィンと金属同士がこすれ合う音が響く。
 両腕がしびれる。重みで関節がひしゃげそうだった。全力には見えなかったというのに、この重さ。力量の差なんてはっきりしている。投影に成功したのは奇跡。今受け止めたのだって奇跡だ。蜘蛛の糸よりも細い、生の可能性。だが諦めない。
 もう一本の剣が斜めから振り下ろされる。それにあわせて、こちらも双剣の一方で食い止めにかかる。再び鳴り響く金属音。双剣が共鳴しあい鳴り響く。だが。転がったままでは、押し返すほどの力なんて出るはずがない。このままじゃ、すぐに力負けしてしまう――――。そうさせまいと気合いを入れアーチャーを睨みつける。
「全てを救うなど叶わん。そのような理想しか見られぬなら――――」
「……理想しか見てないわけじゃない」
 言葉は、自然と流れ出た。
「確かに、全ての人を救うなんて俺には無理かもしれない。今頃気付いたって遅いけど、そんなの当たり前だ。それでも――――」
 叫ぶ。

「全ての人が救われる選択肢が、ないはずなんてない!」

 先程潰されかけていたのが嘘のように、相手の双剣を押し戻す。その一瞬の隙を狙って後転し、距離を取って立ち上がった。
「俺一人じゃ無理だとしても。もう一人いれば、可能かもしれない。駄目なら、もう一人」
 押し返すだけで精一杯で、腕に力なんて残ってない。それでも無理に両手の剣を持ち上げて構える。アーチャーは応えない。
「だから――誰かを切り捨てるなんて選択肢を、俺は選ぶつもりはない!」
 言ってから気付いた。俺が何を選択したのかということに。
 俺が理想としてきたのは切嗣だった。ただ独りで、孤独に全ての笑顔を守ろうと戦ってきた切嗣。その切嗣が俺に向けた笑み、それに憧れたからこそ、俺は正義の味方を目指してきたんだ。
 でもそこには、ほんの一つだけ間違いがあった。切嗣がなれなかった理由、それまで全て俺は真似してしまったんだ。俺が本当になりたかったのは正義の味方じゃなくて、切嗣だったから。
「他の者に頼るということは、その者を犠牲にすることだと気付いていてなお、オマエはそう言うのか!?」
「結果的にそうなることもあるかもしれない。けど、それが間違いだとは思わない」
 もし切嗣が今同じ立場で、俺がいたら。きっと何も出来なくても、俺は切嗣の隣に立って戦おうとするだろう。切嗣はそうさせたがらないだろうけど、出来ない方が俺にとってはずっと辛いんだ。
 イリヤだって、俺を助けたいと言っていた。全ての人を、なんて事を言う正義の味方(バカ)は俺ぐらいかもしれない。でも、誰にだって、守りたい誰かはいる。その守りたい思いまで踏みにじってしまう孤独な正義の味方、それは本当に正義の味方なんだろうか。
「誰もが守りたい誰かのために何かをする。それを守れるようにするのが、正義の味方なんだ!」
「……戯言に過ぎんな。しかも勘違いをしている。……だが」
 アーチャーは一瞬いつもの皮肉げな笑みを浮かべてから、俺の目を真っ直ぐ見据えてきた。その視線を、真っ直ぐ受け止めて睨み返す。
 ――――え?
「前にも言ったな。違う道を歩めば、いずれその(つけ)がオマエの身を焼き尽くすと。それを覚悟で選んだのならば――――死ぬ気で貫け」
 踵を返し、去っていく背中。振り返ることなく発された言葉、そこには。必ず破綻が訪れるだろうという呪いと、その道を選んだことに対する激励の意があった。
 俺は、自身を曲げた。それこそが正しいと信じる道だとはいえ、確かに違う道を選んだ。ならばあの男が言うように、いつの日か己が己を閉ざすのだろう。それでも。

 この思いは、間違いなんかじゃないはずだ。





   ―Interlude―



 イリヤスフィールは今の自身の在り方を省み、それがあまりに皮肉の効いたものであることが腹立たしくなった。聖杯。アインツベルン。アイデンティティーの拠り所となっていたものをかなぐり捨ててイリヤスフィール(わたし)であろうとしたというのに、かなぐり捨てたはずのものが今の彼女にとって全ての頼りなのだ。聖杯であること、アインツベルンであること。そのどちらが欠けても、彼女は彼女の望みを為し得なかった。
 だがそれは彼女が、自身を自身たらしめるものに気付いていないからだとも言える。彼女はやはりアインツベルンなのだ。インツベルンというものを本当に捨て去れたならば、彼女は聖杯としての役割を果たす必要もない。士郎の望みを叶えるだけならば、彼女が聖杯としての役割を果たす必要などなく――――むしろ聖杯としての役割を捨てた方が彼の望みを叶えることに繋がったかもしれない。もっともそれもまた結果的には、彼女が願望機という聖杯だということになってしまうのだが。
 結局彼女の今の計画は、彼女がアインツベルンとして行動しながら新たに生まれた目的を達成できるように変更されたものに過ぎない。それを知らないことは幸か不幸か……。
 怒りのやり場がなくて悶々としながらも、彼女は準備を進めた。

 イリヤスフィールの計画、それは一言で言い表すならば『桜の器を破棄し移し替えること』だった。刻印虫は魂や精神にもダメージを与えるが、肉体に依存するものに過ぎない。そしてまた聖杯としての機能も同様である――――彼女が急造の模倣品であるが故に。
 アインツベルンは元々、魂というものを扱うことに長けた魔術師の一族である。マスターとして勝つために作られた存在だとはいえ遠く遡れば第三魔法に行き着く家系、その末裔である彼女もまた魂を扱うことは得意と言えた。だから彼女は聖杯戦争に参加する以前、一つの望みを抱いていたのだ。切嗣の魂を人形に移し替え、持ち帰ること。後に切嗣から士郎に変わったそれは復讐心だったのか、それとも離れたくないという渇望の裏返しだったのか。
 かつて彼女は士郎に、キリツグとシロウを殺すことが彼女の目的だと述べた。だがそれが本当に憎しみという感情であったのかも定かではない。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンという少女にとって、果たして殺すという行為はどのような位置づけだったのか。もちろん憎しみはあっただろう。だが、一方では気にかけ一方では慕い一方では殺すという感情の向け方。それは全て、渇望から来る独占欲で括ることもあるいは可能なのではないか。
 だが、彼女の当初の目的はもう叶わない。もっと早い段階で士郎を自身のものにしようとすれば、当然そうできたはずだ。だがそれを彼女自身否定した。彼女が欲しいのは何も言わぬ人形ではなく、かつて愛情を持って接してくれたはずの父の幻影だったのだ。そのことに、彼女は士郎とのふれあいの中でおぼろげながら気付いた。
 そして今。人形は手元に残っている。一方で今ここに、肉体が滅ぼうとしている、大切な人が助けたいと語っていた少女がいる。肉体の修復が効かないのならば、そう。
 桜の魂を、人形に移してしまえばよい。
 物言わぬ人形に移してしまうことは、ある意味死を与えることと同義である。だが本当の死とは違い、生きることが可能な体に移せば、また生きることが出来るのだ。手の施しようがない肉体を捨てるという、想像を超えた応急処置。だがそれは現時点において、桜という少女を生かす唯一の方法に思われた。

 果たして人形に魂を移し替えられたとして、それで間桐桜の魂は無事なのか。おそらくそれはナィンだ、イリヤスフィールはそう考える。もし無事であれば、いずれ精巧な人形に移し替えることで少女は生き返るだろう。だがその可能性は低い。最初から精巧な人形、人の魂を移し替えるのに十分な人形を用意していればまた別だろうが――――今手元にある人形では、器として不十分。何かがこぼれ落ち、もう一度移し替えることに耐えられなくなりかねないはずなのだ。しかし他に方法はない。ならば、無事でなかった場合はどうするのか。
 第三魔法。それしか手だてはないだろう。第三魔法は魂を物質化する過程において、壊れた魂の修復をも可能とする。それだけでなく、新たな器への移し替えだって遥かに容易になるはずだ。

 第三魔法。ああ、それはまさしく魔法だ。不可能を可能にする奇跡。それがイリヤスフィールにとって、唯一の希望である。
 その行使が、身の破滅を招くとしても。



   ―Interlude Out―





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第5話に続く

(初版:10/25/2005)




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