熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!」
 瞬間投影された、投擲武器に対する最強の盾。しかし七枚有るはずの花弁はたったの一枚のみ。それが今の俺にできる限界だった。
 たった一枚だが、真の武装はその概念だ。臓硯の方から次々と飛んでくる蟲は盾にぶつかると潰れ落ち、下に泥の沼を作っていく。しかしそれらも含め、盾の持つ概念はこちら側への侵攻を一切防いでいた。
「ナイス、士郎!」
「いや、駄目だ……このままだとそんなに保たない!」
 反撃に転じる機会を窺おうとしていた遠坂が、驚いたようにこちらを見る。
「保たないって……後、どれくらい?」
「分からないけど、くっ――――」
 ピシリ、と花弁に小さなひびが一つ入った。



   ――笑顔の向こうに――



 焦る。
 耐えようと思えばまだ耐えられる、だがそれもそう長くはない。俺の持っている魔力なんてそう多くはないんだ。近い未来に盾は砕け、蟲の中に飲み込まれてしまうだろう。それじゃ、駄目なのに。
 止むことのない、黒い暴風。濁流のように襲いかかる流れに、徐々に盾は押され、蝕まれていく。魔力を振り絞りなんとか支えようとするが、俺の魔力なんてたかが知れている。後どれだけ保つだろうか。徐々に近づく終焉を見ぬよう、盾を支えることにひたすら集中した。
「くそ、どれだけいるんだこの蟲たち……!」
 底を突いたはずの魔力を振り絞り、盾を支え続ける。腕からは血が噴き出し、全身が軋みを上げる。
 ギチリ。
 本来あげるはずのない音を聞かなかったことにして、必死で突きだした右手から魔力を送り続ける。
「シロウ――――もう少し頑張って、なんとかしてみる」
「なんとかって……イリヤスフィール、あんたには策があるの?」
「うん、ちょっと無茶な方法だけど……他に方法がないもの」
 イリヤが凛に向け、そっと片手を差し出す。
「……何?」
「リンの持ってる宝石、どれだけかちょうだい。それでなんとかしてみせるわ」
「わたしの宝石で?」
 そんなことができるはずはない、と遠坂は言いたげだ。遠坂の宝石なら一つで俺の何十倍という魔力はあるだろう。それを使えば、何か上手い手はあるのかもしれない。
「……無理よ。魔力の供給を狙っているのかもしれないけど、あいにくわたしの宝石はわたしの魔力だから、他人が扱うのは無理」
 遠坂の声には悔しさが滲み出ている。魔術師としての力も腕も、そして戦力としても一番だという自負があるからこそ、その自分に出来ることがなくて悔しいのかもしれない。そんな遠坂の様子に苛立ちを覚えるのか、ほら、とイリヤが催促をする。仕方ない、と言いたげに顰めっ面をしながら、遠坂は宝石をいくつか取り出してイリヤに渡した。
「無理、ね。なら見せてあげる」
 宝石を受け取ると、イリヤはニヤリと笑みを浮かべた。してやったりという表情で、魔術回路を起動させていく。
「聖杯は『願望機』であるってのが、どういう事かを」
 瞬間、イリヤから光が溢れた。そして。

 ドクン。

 突然、今までにないほどの魔力が流れ込んでくる。大量の魔力に体が悲鳴を上げるが、しかし不思議なほどに馴染み、あっという間に慣れてしまった。すぐさまその魔力を盾に込める。もう少しで砕かれ書けていた花弁が、完全に持ち直した。そして。
「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
 もう一枚花弁を投影する。二枚の花弁が、更に強固な盾となって濁流を押し返す。
「嘘。どうしてこんな事が……」
「言ったでしょ、聖杯は願望機だって。わたしの魔力だとこれでもう限界なんだけど、存在する魔力を変質させてパスを繋ぐ程度なら朝飯前よ。魔力さえあれば、なんだってできるんだから」
 その言葉には正直、唖然とするしかなかった。もしその言葉を信じるなら、ある意味イリヤは魔法使いにも近い存在だと言える。普段そんな様子を見せたことはなかったが、まさかそれほどの力の持ち主だったとは……。
「……アンタ、まさかそこまで無茶苦茶だとは思わなかったわ」
「ふふ、切り札は最後に見せるものよ、リン。もっとも――――」
 ふらり、とイリヤの体が崩れる。それを見た遠坂が慌てて抱きかかえ、イリヤの体を支えた。
「――――わたしの体じゃ、これが限界。リンの宝石一つ分の魔力を貰ったけど、体の方がちょっと追いつかなかったみたい」
「ああ、もうまったく……!」
 遠坂が苛立ったかのように――しかしそれでいて、とても優しげな声で――心境を吐露する。
「これじゃいよいよ、何とかするしかないじゃない!」
 遠坂の瞳に強い意志が戻り、臓硯の方を睨み付ける。先程以上に気合いが入ったようだ。そんな遠坂が、これ以上なく頼もしく見える。
「なかなか骨があるようじゃな。惜しい、どちらかがマキリの家に生まれていれば稀代の魔術師となれたであろうに。つくづく惜しいの、グ――――!?」

 異変。
 勝ち誇っていたはずの臓硯が、突如体を二つに折り曲げて苦しみ始めた。
「グ……ガガガ……!!」

「……何が起こったって言うの?」
「アーチャーがあのサーヴァントを倒したのよ。その魂が黒の聖杯に流れ込んだけど、あまりに容量が大きくて耐えられないんだわ」
 ――――所詮偽物だから。サクラなら耐えられたかもしれないのにね。
 そう呟くイリヤは、どこかつらそうな表情だった。正直言って俺もつらい。桜の姿で苦しまれると、助けに行きたい衝動に駆られる。
「相打ちだったみたいね。……まったく、よくやってくれたわ」
 遠坂は少し悲しげで、少し誇らしげな、そんな微苦笑をした。繋がりが完全に消えたことを感じ取ったんだろう。アーチャーとの間にどれほどの信頼関係があったかは分からないけど、きっと俺とセイ……

 ――――思い出してはいけない。俺のせいで失った彼女のことを思い出す資格なんて、俺にはない――――。

 言い表せないほどのものがあったんだろう、と思った。
「臓硯を倒すなら今のうちね、ここで一気に行かないと――――」
「待って!」
 イリヤの声ではっとさせられる。その時、臓硯が大きく雄叫びを上げ、無差別に周囲にむけて蟲を飛ばし始めた。
「くっ……熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!」
 慌てて再び盾を投影する。四方八方への無差別爆撃だからか先程のような勢いはない。だがそれは逆に、大きく移動しても射線から逃れられないということでもある。つまり、相手の挙動が変わるまで動きようがないという事だ。せっかくのチャンスだっていうのに……!
「これはまた厄介なことになっているな」
 突如後ろから声がした、驚き振り向こうとした瞬間、横を一本の銀光が走り抜けた。





   ―Interlude―



 言峰綺礼の願いはこの現在においてただ一つである。
 この世全ての悪(アンリ・マユ)の誕生。
 生まれ落ちるまでその存在に罪はなく、全ての生まれるものは祝福される。それが当然だと捉えている言峰にとって、現在の状況は少々予定と違うものだった。

 本来の予定通り間桐桜が黒の聖杯であり続ければ、今頃願いは叶っていたのだろう。だが何が起こったというのか、現実はそうなっていない。理由を探る意味を兼ね、言峰は己のサーヴァントをも捨て駒にしてこの場所へとやってきた。そして言峰は全てを理解する。
 ――――間桐臓硯。あの老人がまだ生き残っていたというわけか。
 本来であれば、言峰は黒の聖杯に手を出すつもりはなかった。自らが手を下さずとも、その願いは叶うはずだったのだ。だが黒の聖杯をマキリの老人が操っているとなれば、話は変わってくる。言峰はある意味臓硯を高く評価している。本来届くことのないはずの魔法に届くか、そうでなくとも聖杯を使いこなしてこの世全ての悪(アンリ・マユ)の誕生は阻止してしまうかもしれない。監督役としてはもちろん、そういった理由もあり言峰は臓硯の動向に注意を払っていたのだった。

 言峰が放った黒鍵は蟲たちの間隙を縫い、あっさりと臓硯の体を串刺しにする。その体は吹き飛ばされて地面を転がっていった。しかし一瞬こそ蟲が止んだものの、動きが止まると同時に再び蟲が濁流となって襲いかかる。ただしその狙いは言峰のみ。自我を失っていようと、自立的に防御機構が働くらしい――――あるいは聖杯の中にいるものの意思だろうか。
 蟲の速度は人の限界を遥かに超えて迫る。しかしそれは予測済みだったというのか、言峰は姿勢を低くしながら斜め前方に跳んで避け、勢いそのままに疾走を開始した。取り出した刀身は三本。銀の光が流れる。
 蟲が今度は無数の弾丸となり、言峰に襲いかかってきた。だがそれも言峰にとっては不足だったらしい。低い前傾姿勢を取って襲いかかる蟲を最小限に減らすと、同時に右手に持つ黒鍵を回転させ、襲いかかる蟲を次々と泥に返していく。その様子はまるで、呪いの泥を恐れていないかのように見えた。パン、と音を立ててはじけた蟲が泥を撒き散らす。徐々にそれを浴びているはずの言峰はしかし、それに動じることなく臓硯までの距離を詰めていった。
 一度は開いた距離が十メートル程まで縮まったところで、言峰は空いている左手にも黒鍵を構えた。本数は三本。変わることなく襲いかかる蟲の間隙を狙い、一挙動で放つ。見事に蟲の間をすり抜けた黒鍵は、一本と過たず臓硯の体を貫いた。勢いそのままに臓硯は後ろへと倒れ込み、蟲が同時にぴたりと収まる。
 だがそれで油断する言峰ではない。相手は魔術師、代行者としての経験から彼はトドメを刺すことの重要性をよく知っている。相手が再び立ち上がらぬうちに、蟲が止んでいるうちに始末しようと右手に三本の黒鍵を握り、一気に距離を詰め――――
妄想心音(ザバーニーヤ)!」
 突如臓硯の背後から影が現れ、伸びた腕が心臓――呪いにより生み出された疑似心臓――を握りつぶす!
 先程アーチャーの双剣により必殺の腕を切り裂かれたアサシンはここまで逃げ延び、腕が再びくっつくまで己の治療に集中していた。全ては主への忠義。例え自信が恐れるほどの化け物に変貌しようと変わらぬ。名も無き暗殺者を最高のパートナーとした老魔術師を守るため。それだけのために、アサシンはここまで落ち延び、機を窺っていたのだった。
「ぐっ!」
「危ないところだった、もう少し遅ければ主殿を失、ギッ――――!?」
 だが。心臓を潰し、殺したはずの言峰だが。
 アサシンは、サーヴァントでさえ逃れようのない呪いを用いたはずだった。そう、それで終わったはずだったのだ。ならば今、アサシンの体を貫く三本の巨大な釘は、なんだというのか?

 心臓を潰されたはずの言峰はしかし、ほとんど動じることなく黒鍵を放ったのだった。三本はアサシンの体を貫き、その後ろで立ち上がろうとしていた臓硯ごと吹き飛ばす。
「何故キサマ、生きている!!」
 そう言いながら、アサシンは既に気付いていた。心臓を潰したはずでありながら、その手応えがなかった事に。
「ク――――そんなことを気にしている暇があるのか」
 言峰の言葉に、アサシンは初めて気付く。敵が一人ではないという、単純な事実に。
「Anfang――――」
 アサシンは慌てて退避しようとする。だが、アサシンにダメージを与えていないはずの黒鍵は待針の役目を果たし、その体を臓硯の体へと縫い止め――――そこから溢れ出た泥が、アサシンの体を捕らえていた。
Grössen Flammen brennnen mit allen!!(全て燃やし尽くす炎!!)
 残りの宝石を全て使い、走り寄って一気に距離を詰めた凛がアサシンに最大限の魔力をぶつけて爆発させる。閃光、そして衝撃。膨れ上がる炎と熱が、そしてサーヴァントの守りをも越える神秘がアサシンたちに牙を向いた。
「グアアアアアアアアアアァァァァァァッ!!」
 アサシンを、そして臓硯を地獄の業火が焼き尽くす。全てを浄化するかのように勢いよく燃え盛り、瞬く間に中にいる者たちを焼き尽くし――――そこから一匹の蟲が飛び出したが、予期していたかのように言峰に叩き落とされた。
「流石に長く生きすぎたようだな、マキリのご老体」
 一言、言峰は感慨深げに――それでいてつまらないとでも言いたげに――呟き、詠唱を始める。洗礼詠唱。魔を清め、魔を許さぬ教会の秘技。詠唱は少しずつ地面に横たわる蟲へと届き、その力を奪っていく。ヒュウヒュウと声にならぬ声を上げ蟲は逃げだそうとするが、詠唱に縛られ動けない。
「――――"この魂に哀れみを"(キリエ・エレイソン)
 詠唱の完了と共に、言峰は黒鍵を蟲に突き立てた。グ、と最後に声のような音を漏らし、蟲は動かなくなる。
 五百年に渡り続いたマキリ、その妄執が潰えた瞬間だった。
「ふう、何とかなったわね」
 遠坂が安堵したようにこちらを振り向き、瞬間目を見開いた。
「イリヤスフィール……!?」
「え!?」
 何故、遠坂がイリヤの名前を叫ぶのか。わからないままに後ろにいるはずのイリヤを見ようと振り向くが、姿がない。
「イリヤ!?」
 いや、いた。俺の足下で、苦しそうに倒れ込んでいる。
「イリヤ!!」
 名前を叫びながら抱き起こそうとしゃがみ込む。いったい何があった? 臓硯が何かした様子はなかった。だからこれは、攻撃によるものじゃない。だとすれば考えられる事は。
 ――――彼女が、聖杯だから?
 慌てたように遠坂がこちらに駆け寄ってくる。
「士郎、多分イリヤスフィールは……」
「凛」
 その遠坂を言峰が呼び止めた。遠坂は走りながら返事だけをする。
「綺礼、まさかあんたが助けてくれるとは思わなかった、けど、今はそれどころじゃ――――」
「遠坂!」
 突如名を呼ばれ、何事かと凛が一瞬身を強ばらせた瞬間。
「きゃあっ!」
 黒鍵が凛の肩を貫き、その体を吹き飛ばした。



   ―Interlude Out―





第10話に戻る
第12話に続く

(初版:08/04/2006)




 もしよろしければ感想をお聞かせください。

・お名前(任意)

・メールアドレス(任意)

・この話の評価をお聞かせください。
面白かった まあまあかな 駄目だね 最低!

・感想その他をご自由にお書きください。





戻る