「遠坂!」
 間に合わない、そう思いながらも名前を呼び、立ち上がる。せめて今この手に投影した剣があれば。投げても間に合うとは思えないが、それでも何かできるはずだった。だが――――思い虚しく、遠坂の体は言峰の黒鍵に貫かれ、吹き飛ばされ転がっていった。
「遠坂――!!」
 思わず駆け寄ろうと走り出しかけ、その途端悪寒が襲ってきた。即座に陰陽剣を投影して身構える。迫り来る影、振り下ろされた黒鍵を莫耶でいなし、横から来るもう一方を干将で受け止めて防ぐ。それぞれのあまりの重さに、両腕が痺れそうになった。
「言峰、お前どうして遠坂を!」
「味方だと言った覚えはないが?」
 言峰はあくまで無表情だった。



   ――笑顔の向こうに――



 一旦後ろに飛んで距離を取り、すぐさま斬りかかる。動くべき動き方は剣が知っている、俺はそれに合わせればいい。干将・莫耶はそれ程長くない事もあり、比較的振るいやすい剣でもある。だからそう、俺はあの赤い弓兵に近い動きが出来るはずだった。
 しかし。言峰は易々と、俺の太刀を次々と受けてしまう。最初はこちらから斬りかかっていたはずだった。しかし徐々に押され、気付けば受けに回っている。先程の動きからもわかる事だが、言峰は力も技術も並外れていた。
 腕を断とうとする横からの斬撃を、首を貫こうとする突きをぎりぎりで弾いて防ぐ。力の差は圧倒的、技術は剣の思い通りに動けないと上回る事が出来そうにない。丁寧に、剣の動く通りに弾き、致命傷を防いでいく。だが避けきれないものも出始め、徐々に掠り傷まで増え始めた。まずいと思った瞬間、左右から同時の袈裟切り。両手を上げそれぞれを防ぐが、力が足りない。このままでは、膂力で押し込まれる!
「言峰……お前、いったい何を考えてるんだ!」
 後ろに飛び退って無理矢理拮抗を終わらせ、すぐさま斬りかかる。今度は逆に、言峰が受けに回った。再び拮抗する、双剣と二本の釘剣が共に軋みを上げている。
「さて、な。そんなものを聞いてどうしようと言うのだ?」
 ふっ、と腕にかかる力が消えた。一旦引いたのだと思い、次に来る剣の軌道を予測しようとし――――瞬間、腹にとんでもない衝撃がきた。
「ぐっ!」
 その一撃で、一気に吹っ飛ばされた。息が止まり、思考が一瞬空白になる。何があった? 激痛の中、無理矢理視線を言峰の方に向け、何があったか理解しようとして……突き出された拳から、殴られたのだとおぼろげに理解した。言峰は一度剣から手を放し、その瞬間に懐へ潜り込んで拳を放ってきたのだ。殴られただけで、これほどの威力とは。経験の差か、はたまた力の差か。これがやつの、本当の力――――!!
「だが、敢えて言うならば……そうだな、強いて言うならば愉悦だ。所詮こんなもの娯楽に過ぎん」
「娯楽……だと!?」
 信じられない事に、言峰の表情は心の底からの歓喜を浮かべているようだった。
「衛宮士郎。お前は、この中にいるモノの正体を知っているのか」
 言峰が手で示した先にあるのは――――大聖杯。
「この世全ての悪、だろ」
 吐き捨てるように言う。だが、本当のところはなんなのか知らない。あの泥がその一部だという事ぐらいは知っているが、イリヤが呟いた名前からそうだとわかっているだけだ。そして、それを見透かしたかのように言峰がさらに語り始めた。
「そう、この世全ての悪(アンリ・マユ)こそがあの中にいるモノ。人々のあらゆる負の感情の捌け口にされ続けた、悪性の象徴だ。そして今……この世全ての悪(アンリ・マユ)は大聖杯の中で育っている。殺戮の限りを尽くして人類全てを滅ぼす災厄という望まれた形で生まれ落ちるために」
「なんだって!?」
 それこそ殴られたような衝撃だった。全人類を滅ぼす、そんな災厄が目の前に存在するという事実。それだけでもとんでもない衝撃だったというのに……そんなモノが、生まれ落ちようとしているというのか。
「言峰。こんな争いをしている場合じゃない、今すぐ大聖杯を破壊するなりして何とかしないと――――」
「どうしてそんなことをする必要があるのだ?」
 ――――ナニヲイッテイル?
「ならば聞こう、衛宮士郎。お前は既にあれを悪だと断じているようだが……何故、そんなことが言える?」
 コイツハ、ナニヲイッテイルンダ?
「生まれてもいないモノに罪はない。あれはまだ善悪の判別もつかぬものだよ。だというのに、お前はそれを滅ぼそうというのか」
「生まれ落ちれば全ての人々を殺すんだろう!? そんなのが」
「悪でないはずがない、か? なるほど、確かに一理はあるな。だが……それは勘違いだ。罪とはなされて初めて背負うもの。例えこの世に生まれ落ちた瞬間に悪となろうと、それまでは罪のない、ただ生まれ出ようとしている命の一つに過ぎん」
 ぞく、と背中に氷柱を刺されたかのような寒気がした。ただ敵としてしか認識していなかった目の前の男が、途端に恐ろしくなる。相容れる事はない、ただそれだけだったはずなのだが……既に、人であるとは思えなくなっていた。
「そう、生まれる前のものは皆等しく無垢な存在だ。例えそれがこの世全ての善であろうと悪であろうと、私はその生を祝福しよう。生まれるものは皆、等しく祝福を受けるべき存在だ」
「お前は……狂ってる」
「そんなものは生まれつきだ」
 さも当然そうに、言峰は肯定した。しかしその表情は何処か自虐めいた笑みに変わっている。
「私は生まれつき、人が幸福だと思う事が幸福に思えなかった。人とは幸福が逆だった」
 それはおそらく俺が唯一聞いた、言峰の怨念だった。
「そんな私にも、他の人と変わらぬ幸せを感じるものがあった。生まれる命の祝福。この世に命が生み出される事そのものは……おそらく、私にとっての幸福だったのだ。それが私の全て」
 言峰が身構える。――――来る!
「さあ見せて見ろ、衛宮士郎。衛宮切嗣の息子である、お前の正義を!」
 衝撃。突如動こうとした干将・莫耶に動きを合わせた途端、両腕に衝撃が伝わってきた。一瞬で間合いを詰め、同時に両側から斬りかかられたらしい。剣が勝手に動かなかったら、動体から真っ二つだった。さっきのはまだ本気ではなかった、という事か。サーヴァントと比べれば大したことはない、それでも死の恐怖を身近に感じた。
 甲高い剣戟の音は尽きることなく続く。徐々に押されては距離を取り、再び斬りかかっては押し返される。そんなことを何度も繰り返し、気付けばあちこちに裂傷を負い始めていた。このままでは負ける、それは分かっている。技量の差は圧倒的で、それを巻き返すにはもっと強大な力、そう例えば彼女の――――考えるな――――何とかするしかない。
 首を刎ねる事を狙った一撃を、心臓を貫こうとする一撃を弾く。しかしその瞬間には、次の斬撃が頭上から迫る。防ごうと頭上に剣を振り上げ、同時にそれが相手の剣ごと叩き潰そうという重みを持った一撃である事に気付いた。これでは駄目だ。飛び退りながらもう一方の剣も受けに回らせる。連続で衝撃、しかしそこで頭上からの一撃は止まった。だが、片手対両手でこの状況。がら空きの胴を狙われれば、終わる――――!

 ザシュ。

 鈍く、肉を刃物が貫く音が響く。だがその前に俺は、間に割り込んだ影によって後ろに弾き飛ばされていた。そこにいたのは……遠坂。肩からはまだ血が滴り落ち、さらに……その腹を、黒鍵の刃が真っ直ぐに貫いている。掌打を黒鍵の腹に叩き込み、無理矢理軌道も変えたらしい。そして驚き目を見開く言峰に対し、遠坂はもう行動を開始していた。
「最後のとっておきよ、まさかあんたに使う事になるとは思わなかったけどね――――

 Explodieren starken!

 言峰は咄嗟に後退するが、それよりも遠坂の宝石が早い。瞬時起こったのは、大爆発。その爆風に吹き飛ばされ、言峰は遠くへと転がっていく。だがどの程度のダメージがあったかは分からない。おそらく……すぐに立ち上がり、止めを刺しに来るだろう。
「遠坂、大丈夫か!」
 慌てて駆け寄ろうとすると、振り返った遠坂がそれを手で静止した。だがその顔面は蒼白で血の気が無く、腹からはおびただしい量の血液が流れている。致命傷ではないと思いたいが……早く手当てをしないと危険だ。だというのに、手当てをしようと駆け寄る俺に対して遠坂は首を振った。
「わたしは大丈夫だから、それより言峰を……」
 その言葉にも張りが無く、声は掠れている。だがそれでも遠坂は、自分の事を無視して行けと言った。腹を貫く黒鍵を引き抜き、さらに大量の血液が流れ出るのにも構わずに。
「衛宮君……何を躊躇っているのか、わたしは知らないし分からない。でもね、衛宮君しか言峰に勝てるやつはいないの。だから……私のせいにしてくれてもいいから、勝ちなさい。他に……方法が……ない、んだか、ら……」
 そこで遠坂は崩れ落ちた。しかしそれでもなお、来るなと伸びた手が示している。ならば……一刻も早く言峰を倒し、遠坂を手当てするしかない!

 言峰が立ち上がるのが見える。今振るっている黒鍵が既に最後の一本なのだろう。新たな黒鍵を取り出す様子がない。好都合と言いたいところだが、奴には格闘術もある。勝つためには干将・莫耶では駄目だ。命を賭してでも、奴を圧倒的に上回る力を持った武器を投影しなければ勝てない。
 ――――知っていた。奴を倒すにはこれしかない事を。失ってしまった彼女の剣、それを投影すればおそらく勝てる。彼女の剣を持つと言う事はすなわち、勝利するということに他ならないのだから。
 だが、俺にはそんな資格がない。それは分かってたし、ずっとそう思ってた。彼女が失われたのは、そしてあの黒い姿に染まってしまったのは……全て俺のせいだから。許されるはずなんてない。
 それでも、今は彼女の剣を振るう。そうしなければ守れない人がいる。先程倒れたイリヤ。そのイリヤが今も守ろうと懸命に抱えている、桜。すぐそこで命の危険にさらされている遠坂。そして、この世全ての悪がこの世に生まれ落ちれば死ぬ事になる、全ての人々。守るためには、正義の味方でいるためには彼女の剣が必要だった。

 イメージするのはただ一つ、彼女の剣。

 黒い聖剣ではない――――あれを投影しようとすれば、自滅する。
 透明な剣の鞘ではない――――あれではまだ足りない。

 幼い頃から、夢に見ていた剣。霞むようにもやっとしていた剣はしかし、今ならはっきりと見える。彼女の剣、彼女が本来持つべき剣、彼女が失った剣。本当なら渡さなければならなかった。彼女にその剣を渡さなければならなかったのだ。だが今は、もう果たせない願い。

 八節を丁寧になぞるまでもなかった。体がそれを知っている。体がそれを覚えている。全身の魔力回路が唸りを上げ、体のあちこちは耐えきれないのか血を噴き出させる。もう少しだけ保て、これを投影しないと俺は何も守れないんだ――――!!



 光が、手に収束する――――!!








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第13話前編に続く

(初版:10/22/2006)




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