―Interlude―



 わたしの存在意義とは何だったのだろう。
 わたしの本当の望みは何だったのだろう。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
 アインツベルンの末裔。
 第五回聖杯戦争の聖杯。
 衛宮切嗣の娘。
 ホムンクルス。

 わたしを構成する要素なんていくらでもあった。
 けれど、そんなのはどれも部分でしかない。
 ならば、わたしは何なんだろう?



   ――笑顔の向こうに――



 お父さまとお母さまのことは、覚えていないようでよく覚えている。お父さまは子供のような人だったけど、帰ってくるといつもわたしの頭を撫でてくれた。そして、雪のようだと白い髪を褒めてくれた。そんなお父さまを、見守るようにお母さまは微笑んでいた。わたしは、二人が大好きだった。
 だから、お父さまを……ううん、キリツグを許すことはできない。

 聖杯戦争。それに勝利し魔法に至ることこそが、アインツベルンのここ数百年間の目標だった。そのために外部から招かれたのがお父さまだった。
 でも、そんなことは関係ない。例えお父さまがアインツベルンの人間で立場が逆だったとしても、わたしの感情には変わりがないのだ。だからこそ、キリツグは許せない。
 第四回となる聖杯戦争の始まりが近づいたあの日。わたしは旅立つお父さまとお母さまを、見えなくなるまでずっと眺めていた。傍らに立つ、お母さまと同型のホムンクルスと共に。同型であるということは、同一人物であることに限りなく近い。でも、その時点でのわたしにとっては同型でしかなかった。お父さまとお母さまの間には、その始まりが偽りだったとしても……絆があったのだ。わたしを含めた三人に、家族という名の絆が。

 だからわたしは知らせを信じなかった。何かの間違いだと信じていた。お父さまがアインツベルンを裏切って聖杯を破壊し、その際にお母さまを巻き添えにした、そんな知らせを。
 だからずっとお父さまの帰りを待って、待って、待って、待って、待って、待って、待ち続けて。捨てられたのだと理解した時、わたしの中でお父さまはキリツグとなった。

 それからいくつもの冬を……お父さまが髪を褒めてくれたのと同じようで全然違う冬を、いくつも乗り越えた。その間にわたしはアインツベルンに産まれた娘からイリヤスフィール・フォン・アインツベルンとなっていた。聖杯となる最強のマスター、そして魔法への道を再び開く者となるためのモノとして。
 エミヤシロウのこともその間に知った。キリツグの、息子。わたしを捨てたキリツグがどうして別の子供を育てているのか。その理由がわからなくて、ただただ憎くて、同時に興味を持った。そのおかげで願いを一つ持てたのだから、ある意味良かったのかもしれない。

 わたしは、キリツグとシロウが欲しい。その自由も何もかもを奪って、わたしだけのものにしたい。
 多分、幼児がおもちゃを独占したがるのと同じ事。でも、それで良かったのだ。わたしは、望みを持って日々に耐えることができたのだから。最初の望みだったキリツグは、その前にこの世を去ってしまったけど。



 そして、第五回聖杯戦争が間近に迫った時。わたしは、誰よりも強く、優しく、暖かく、頼りになる従者を連れて冬木へと向かった。その時はただ、全てが望み通りになると信じて。
 でも、全ては変わってしまった。シロウとの出会い。シロウが持つ暖かさはとても暖かくて、お父さまのようで、わたしという雪の欠片を全て融かしてしまいそうだった。少しでも深く触れてしまうと、もう抜け出せなかった。

 そして決断の時。

 結局、わたしはシロウを選んだ。シロウの願いを叶えるため、それだけを己の全てとして。わたしを構成する要素、その全てをただそのためだけに使おうとした。それでも、どこかで足りなかった。全てをなげうったはずだったのに、それがわたしの限界だった。

 そして今、わたしは地面に倒れている。本来収まる数よりも遥かに多いサーヴァントを抱え込んでしまったのだ、未だ人としての意識が残っているのが不思議なほどだった。全身を襲う苦痛は、意志を持って体を動かすことさえ許してくれない。シロウを応援したい、その行く末を見届けたいのに。結局わたしは無力でしかない。それを呪いながら、わたしは最後の役割……サクラを助けることができるよう、必死で激痛を堪える。シロウがその戦いを終えた時には、その役割を果たせるようになっているために。わたしが何とかするという約束を果たすために。
 ただ、それを果たしてしまえばもう、別の約束は果たせなくなってしまうだろう。本来より多いサーヴァントを抱え込むだけでこれだけ体が負けてしまうのだ。全てを終えた時、この体が保つとは思えなかった。

 やっと苦痛を押さえ込んで立ち上がった時、ちょうど戦いは終わりを迎えたところだった。言峰の自殺――――それ以外にこの結末は表現の方法がないと思う。でも、シロウはきっとその責任を……胸の内を想像するだけで、わたしの胸も張り裂けそうなほど痛くなる。でもそれはわたしには背負えない重み。本来背負うべきではない重みまで背負えば、誰だって潰れてしまう。それでもきっと、シロウは背負ってしまうのだろう。そうでなければ……わたしはシロウのために全てを捨てなどしなかったはずだ。

 ……全て?

 それはずっと、最初から残り続けた疑問。わたしの取った行動。それは本当に、全てを捨てようというものだったのだろうか。
「イリヤ」
 後ろから呼ぶ声が聞こえた。間違いない、セラとリズがここに来たのだ。全て、予定通りに。
「リンが酷い怪我をしているわ。リズはシロウと二人まとめて連れ帰って、その後リンの手当てをして」
「わかった」
 従者の一人……わたしと運命を共にするはずのホムンクルス、リーゼリットに命を下す。そしてもう一人。
「お嬢様……」
「セラ、セラは予定通りにわたしの着替えを手伝ってちょうだい。――――失敗は絶対に許されないから」
 もう一人の世話役であるセラ。最後に一人残されるであろう、辛い役目を全て請け負わされる従者。だというのに彼女はいつも、わたしの心配ばかりしてくれる。そんな彼女だからこそ、重要な役割を頼めるのだ。
「その後……わたしが第三に挑んで成功したら、人形を持って逃げなさい。おそらく逃げ出す時間は残されているわ。……セラ?」
 答えがないことを不審に思って振り返る。セラは俯いて、体を震わせていた。その表情は何なんだろう。どうしたんだろうと、改めて呼びかける。
「セラ? 聞いてる? 聞いてるなら返事をして」
「……お嬢様は、本当にそれで宜しいのですか」
 ようやく顔を上げたセラは、表情がなかった。どうしてそんな顔をするんだろう。喜んでくれないのか?……それもそうか。セラはわたしとは違う。だから、わたしが今までしてきたのと同じ勘違いの中にいるのだ。ならばそれは仕方ないこと。

「大丈夫よ、セラ。これはわたしの決断であり、そしてイリヤスフィール・フォン・アインツベルンとしての決断でもあるわ。躊躇う理由なんてどこにもない」

「……ならば、仰せのままに」
 セラが深々と一礼をする。後は、シロウとリンを安全なところに逃がして……魔法に、挑む。第三魔法、魂の物質化。アインツベルンから失われた力。人類が人類であるままに一つ上の次元へと進むための一歩。もっとも、復活させたところでわたしが完全に届くはずはないけれど。
 そのためにはまず……シロウには、この場から離れてもらわないと。シロウがこの場にいたら、きっとわたしのことを止めるだろう。それしかサクラを救う道はないというのに、わたしが犠牲となることを良しとせず、他の道を探すために。でもそれは違う。死にたくないのは確かだ。でもそれ以上に。わたしにとっては、例え死ぬ事が避けられないとしても、この道こそが望みなのだから。
「シロウ……」
 言峰を殺してしまった――――実際は言峰の自殺でしかないけれど――――に放心したままのシロウを現実に呼び戻す。いっそこのままの方が良かったのかもしれないけど……最後にもう一度、少しでも言葉を交わしたかった。それ以上は決意を鈍らせてしまうから、できないけど。
 わたしの言葉が耳に届いた瞬間、シロウは一瞬で我を取り戻したようだった。
「イリヤ、大丈夫だったか!?」
 声とどちらが早かっただろう。シロウはすぐさまわたしの方へと振り向き、セラとリズの姿に途惑いを覚えたようだった。
 元気そうな姿を見ただけで、声を聞いただけですごく安心できた。わたしのことを心配してくれているのが分かって、それだけでもう……未練のようなものは霧散した。
「リズ、お願い」
 リズは頷いて、シロウの元へと歩み寄った。そしてグイッとシロウの体を持ち上げ、抱え上げる。突然の行動に、シロウは事態が把握できていないらしい。
「うわっ、な、なんだ!?」
 そんな驚いた様子が、ちょっと情けなくて……気持ちを落ち着かせてくれる。
「動く、落ちる。シロウ、危ない」
 リズに注意され、訳が分からないと言いたげにシロウがこっちを見る――――目が合う――――

「イリヤ、これはどういう――――」

 ――――だめっ!!

「動かないで」



「――――!?」
 言葉と共にシロウの動きが止まる。昨夜のうちにかけた、強制の呪い。多分こんな瞬間が来ると分かってた。だから、魔術師として求めた対価。一緒に暮らそうと言ってくれたことが嬉しくて、でも嬉しすぎたからかけるしかなかった呪い。目が合ったその一瞬で、全ての決意が揺らぎそうだった。全てを捨ててシロウと一緒にいたい、そんな衝動が沸き上がってくる。
 でもそれは違う。
 それはわたしの願いではないし、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンという一つの個の使命でもない。それに何より……エミヤキリツグの娘として、その選択はできない。



 そう。
 わたしはシロウの姉であり、アインツベルンの末裔であり、そしてエミヤキリツグの娘なのだ。そして……そのどれもが、わたしの行動原理だったのだ。

 雨の日の夜。わたしの取った選択、シロウのために正義の味方になるという選択。それはアインツベルンを捨てるものだと思ってた。でも実際はどうだろう? 聖杯戦争の勝者と言えるかどうかは微妙だけど、わたしは現に魔法に挑もうとしている。聖杯に、そして第三魔法に届くことこそがアインツベルンの悲願。……なんだ、結局わたしはアインツベルンの末裔として行動していたのだ。
 シロウのため。その夢を叶えるために、あれほど嫌っているはずのエミヤキリツグと同じ正義の味方を目指していた。ううん、結局嫌ってなどいなかったのだ。ただ、信じられなかっただけ。何があったのかは知らない。それにこれは、もしかしたら思い違いかもしれない。でもきっと、キリツグは……ううん、お父様は……わたしのこともきっと、愛してくれていたのだ。自分を貫き通し……その夢も後悔も全て引き受けた存在(シロウ)を残したのはわたしのためでもあった、そう思ってしまうのは自惚れなのだろうか? だとしても構わない。わたしはエミヤキリツグを、正義の味方という夢を、今は肯定できる。

 セラに手伝って貰って天のドレスに身を包みながら、精神を落ち着ける。例えどれだけ好条件を揃えたとしても、可能性は絶対にはならない。だから成功させるために、少しでも確率を上げたかった。そして着替え終えた頃、リズが戻ってくる。その両肩に二人を抱えて。動きの自由を奪ってしまったことを士郎に心で謝りながら、リズに最後の命を下した。
「じゃあリズ、お願い」
「うん」
 言葉はそれだけ。それ以上はなくてもわかる。わかってくれる。だから去りゆくリズの背中に頷きを返して、大聖杯の方へと向き直った瞬間。

「イリヤ――――!!」



 ――――――――そんな。

 まさか、魔術が解けた? そんな、そんなことがあるはずが……。

 胸が張り裂けそうになって、弱気な心が一斉に悲鳴を上げた。泣きたい、叫びたい、逃げたい。まだ死にたくなんて、ない……! これからもっと、楽しい日が続いていくはずだったのだ。大聖杯が落ち着いていれば、あるいは魔法に挑まなくても済めば、あるいは。そんなありえない、考えてもいなかったはずの思いが次々と浮かんでくる。でも、もし、少しでも。泣いてしまえばきっと、わたしはもう我慢できない。耐えられるはずがない。だから泣けない。でも、もう――――――――!

「イリヤ――――!!」

 ――――二度目のシロウの叫びは、逆にわたしの弱音を全て取り払ってくれた。わたしの本当の望み、それが何かを思い出させてくれた。

 もっと生きたい、シロウと一緒にいたい、あの家で過ごしたい。そんな思いは確かに消えない。でも、それよりずっと大切なものがある。
 シロウの姉として、シロウのために全ての力を尽くせる。アインツベルンの末裔として、魔法に挑むことができる。エミヤキリツグの娘として、正義の味方を実現するために救われる道がなかったはずの者を救える。これ以上喜ばしいことがどこにあるだろう!?
 なんだ。やはりわたしは魔術師だった。これ以上なく魔法使いになるのに相応しい、そんな魔術師だ。
 なんだ。やはりわたしはキリツグの娘だった。ううん、お父様の娘だった。それが今は誇らしい。

 一度は潰されそうになった心が不思議なほど落ち着いて、静かで穏やかな雪原へと変わっていく。もう大丈夫、と安心して振り返る。どうやって魔術を解いたのだろう、必至で首から上を起こしてこちらを見ている。その顔は泣きそうで、つられて泣きそうになった。

 でも、わたしの胸にあるのは誇り。シロウの姉であり、アインツベルンの末裔であり、そしてキリツグの娘である――――そんな誇り。



 だから、笑顔。



 悲しいかもしれない。苦しいかもしれない。泣き叫びたいのかもしれない。それでも笑顔を返せる。浮かべたいのは笑顔だから、笑顔を向けられる。振り返った視界に入る、驚いたようなシロウの顔。できればそれも笑顔だったら最高だったのに。そう思いながら、また大聖杯へと向き直る。時間がない。あとはわたしの仕事だ。
「お嬢様」
 セラが人形を渡してくる。きっとわたしの心を理解してくれたのだろう、セラも穏やかな微笑みを浮かべていた。
「ありがとう、セラ。後のこと、お願いね」
「はい」
 受け取った人形を両手で抱え、大聖杯の中へと入る。あとはもう、最後の仕事を残すだけ。誇りを胸に、わたしはわたしの役目を成し遂げよう。

 そして、魔法へと至る道に入る。
 最後に思い浮かんだのは、一つの風景。お父さまがいて、お母さまがいて、そしてシロウがいる。そんな暖かな、家族の団らん。それは決して有り得ないことで、叶わぬ夢で、暖かな幻想。未練は消えてなかった。消えるはずなんてなかった。でも、おかげで心が暖かい。例え幻想だったとしても、その温もりは今、ここにあるのだから。

 そして、穏やかな温もりを感じながら。わたしの意識は、光の中へと消失していった――――――――。



   ―Interlude Out―






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......epilogue

(初版:11/25/2006)




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